信太森葛葉稲荷神社 晴明伝説の里を訪ねて
皆様、こんばんは。
本日は、大阪の信太森葛葉稲荷神社さまについて紹介さしあげます。安倍晴明伝説や歌舞伎に興味のある方にとって、特に興味深い場所であるかと存じます。
よろしくお付き合いくださいませ。
▼目次
- 信太森葛葉稲荷神社と白狐・葛の葉
- 葛葉稲荷神社の御利益は恋愛!
- 葛葉稲荷神社の楠と龍神さま
- 歌舞伎にも登場する葛葉姫
- 葛の葉は未来を見通していた?
- 不思議がいっぱい!安倍晴明の家族
- 阿倍野と陰陽師の集落
- 葛葉稲荷神社へのアクセス
(初稿:2020年2月16日)
信太森葛葉稲荷神社と白狐・葛の葉
信太森葛葉稲荷神社さまは別名で信太森神社、あるいは葛葉稲荷神社と呼ばれているそうです。
神社の名称になっている葛の葉とは、この地に棲んでいたという白狐の名前から来ています。葛の葉は、安倍晴明の母親であったとの言い伝えのある、謎の女性。
伝説を簡単にまとめれば、晴明の父親であった安倍保名(あべのやすな。阿部とも書きますが、本記事では晴明にあわせました)という男性に命を助けてもらった狐が、恩返しに人間の女性に姿を変えて夫婦になった、というのです。
葛の葉が生んだ子供が安倍童子(あべのどうじ)、つまり後の晴明でした。
なお、信太の森という地名は、赤染衛門や藤原定家の和歌にも登場しています。平安時代頃にはすでに、鎮守の森として神社が置かれていたのでしょう。
葛葉稲荷神社の御利益は恋愛!
安部保名と葛の葉姫の伝説が伝わる神社のご利益は、ずばり恋愛。
縁結びはもちろん、復縁を願う女性たちが、葛の葉姫にあやかり幸せをいただきたいと訪れる場所となっているそうです。
葛の葉伝説が平安時代を舞台としていることからも分かるように、それ以前から稲荷神社として保食神(ウケモチノカミ)を祀っていたといいます。
古くは豊穣の神として、あるいは龍蛇神としても崇敬されていたのかもしれません。
葛葉稲荷神社の楠と龍神さま
これは少しスピリチュアルな話になるので、大丈夫な方だけ読んでください。
葛葉稲荷神社さまを訪れた私が、一目惚れしたものがあります。それは、樹齢2000年にもなるという、ご神木の楠(くすのき)。
巨大な白蛇の化身であるような存在感と、人間を歓迎する明るさを兼ね備えており、ごく自然に「うわあ、神様がいる」と感じてしまうような、すばらしい巨木でした。
自宅に戻ってから確認したところ、葛葉稲荷神社さまの起源は、近くの聖神社さまと関係するらしい。奈良時代には、この楠を龍が化身したご神木として祭祀を行っていた、との話が出てきました。
実際、境内の奥に行くと、○○龍神の名を刻んだお塚が並んでいます。お稲荷さんより龍神信仰の地として始まった神社なのかな、と思いました。
葛の葉姫が姿を現したとの伝説もあるご神木の楠は、今は天然記念物に指定されているとのことですよ。
歌舞伎にも登場する葛葉姫
葛の葉をめぐる伝説は、浄瑠璃に描かれたことでヒットし、その後、歌舞伎の世界でリメイクされて再度の大成功をおさめ、古典となりました。
わが子に正体を見られてしまった葛の葉は、泣く泣く人間界を去ることになります。別れ際、葛の葉が残したという次の和歌は有名ですね。
恋しくは尋ねきてみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
この和歌にあやかり、白黒で表裏を描いた葛の葉っぱが社紋にもなっています。名物なのか、お菓子の葛餅も販売されていました。
葛の葉は未来を見通していた?
夫と息子を残し、人間界を去らねばならなかった葛の葉。旅立つ前に、我が子に「勉学に励み、無益な殺生はせず、悪い遊びをしてはダメよ」と言い聞かせたといいます。
葛の葉のセリフを聞いたとき、私がとっさに思い浮かべたのは今昔物語集でした。今昔物語集には、貴族の男子らに迫られて、晴明がいやいやカエルを呪殺する話が登場するのです。
いずれも創作の世界の出来事である可能性が高いですが、葛の葉の戒めを破った晴明は何を思っていたのでしょうか。あるいは母・葛の葉は、白狐の神通力で我が子の未来を見通していたのか。
晴明をめぐる物語には、人間・安倍晴明の姿を想像させる面白さに溢れています。
不思議がいっぱい!安倍晴明の家族
母親が白狐だったという晴明には、他にも身内に関する不思議な話が残されています。例えば、奥さんも「見鬼」の能力があったという伝承です。
見鬼とは、文字通りなら鬼を見る力の意味。
ですが、妖怪の鬼だけを指す言葉ではなく、昔は霊なども鬼の字で表しました。つまり晴明のみならず奥さんも、今でいう霊感があったらしいのです。
一方、父親の安倍保名については架空の人物との説が根強いそう。
史実としての安倍晴明の父親は、大善太夫安倍益材(だいぜんのざいぶあべのますき)という方の可能性が高いとのこと。
調べたところ、安倍益材は宮廷の料理人だったとの説がありました。
料理人=供餞(おそなえもの)=稲荷神?などと私は妄想しましたが、めぼしい記録が残っていないことが非常に残念です。
阿倍野と陰陽師の集落
ところで葛葉稲荷神社を語るとき、もうひとつ見逃せない特徴があります。それは、信太の森や阿倍野が陰陽師の村であったといわれている事実です。
一帯に民間陰陽師の集団が住んでいたらしく、彼らが晴明信伝説を語り継いだらしいのです。
個人的には、聖神社が鎮守社で、今の葛葉稲荷神社は村の第2の水源地として保護されていたのでは?と思いました。昔は、水源を清潔かつ安全に保つことは非常に大切で、これは毒を入れたりされると命の危険があったからですね。
阿倍野は晴明の出身地である可能性が非常に高い場所のひとつですが、いまだに決定的な証拠も出ていないようです。
なお、晴明の子孫には土御門家という家系と、あまり知られていませんが倉橋家という血筋も残っているそう。京都の真如堂、奈良の阿部文殊院などにお邪魔すると、晴明伝説とともに倉橋家の名前を耳にしますね。
葛葉稲荷神社へのアクセス
- 最寄り駅JR阪和線「北信太駅」下車、徒歩5分程度。
公共の交通機関を使用する場合、電車が便利でした。
神社好きなら、近くの安倍晴明神社(大阪阿倍野。京都の晴明神社とは別)、阿部王子神社、聖神社も晴明ゆかりの場所として訪れたいところ。聖神社と葛葉稲荷神社は、本宮と若宮の関係だったとの説もあります。
他、純粋に史的な見どころなら、大鳥大社もおすすめ。こちらは電車でわずか2駅の距離でした。
以上、大阪・信太森葛葉稲荷神社と安倍晴明についてのお話でした。
神社の案内をしてくださったTさま、ありがとうございました。お陰様で充実した時間を過ごすことができました。この場をかりて、改めて御礼申し上げます。
本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!