巫病あるいはカミダーリを考える

▼目次

(初稿:2017年11月18日)

本日もお越しいただいた皆さま、ありがとうございます。

今日は巫病(ふびょう)あるいはカミダーリと呼ばれる、不思議な現象についてお話したく存じますよ。スピリチュアルな世界に興味のある方でしたら、聞いたことのある言葉かもしれませんね。

巫病とは何か

まず、巫病の特徴を紹介して参りましょう。ごく簡単にいうと、巫病とは神様とご縁のある人間が、その道に入るときに経験する、心、体または社会的な困難のことをいいます。

神様に仕えるべき人間がお役目を怠っていると、原因不明の心身の不調が出てくるというのです。

巫病で経験する症状はさまざま。うつ病などの精神的な不調、原因不明の慢性病、心霊体験、人間関係の大きな変化まで、人によって違うようですが、共通点は医者に治せないこと。

現代医学で原因が突き止められず、検査を受けても異常がないので、ストレスだとか、自律神経失調症だとか診断され、積極的な治療法も見つからずにどうしていいか分からなくなることも多いようです。

この時、心霊体験が強く出る御方ですと、見えないものの声を聞く、霊の姿を目撃するなどの現象、霊障による精神的な辛さを一度に経験するともいいます。

このため、医学的には統合失調と判断されてしまうときもあるそうです。

巫病の特徴

このように巫病の症状と、霊媒体質や憑依体質の方が経験する症状は似ていますが、決定的に違う点は巫病の場合、原因が神様とのご縁にあることでしょう。

いわば、巫病は神様の世界への扉が開くとき、膿み出しや好転反応のようなものなんですね。一時的な不調はあっても、神様に関する仕事を始めると劇的に良くなります。

これに対し、霊媒体質や憑依体質は断続的に症状があらわれ、霊と関わる時に影響を受けるとされます。

巫病の症状の実際

実は私自身も、巫病らしきものに悩まされた経験があります。

巫病を疑った経緯は後で紹介いたしますが、症状が出てから継続しているのは、頭痛、蕁麻疹、脚の紫斑など。病院では、頭痛は慢性に近い片頭痛、紫斑は多発性動脈炎とそれぞれ診断されました。

多発性動脈炎は膠原病の一種なので、現代医学では解明されていませんから、大学病院の先生たちにも「治らない」といわれます。片頭痛についても、MRI検査までしても原因は特定できず、鎮痛剤での対処療法しかありませんでした。

更にこの他にも、診断された病気とは関係ないという不調が、山のようにありました。

関節が固くなって足が動かない、消化器が働かず水分もとれない、慢性的な不眠症状などで、特に頭痛嘔吐はすさまじいものがあり、胃液を吐くために夜中にトイレまで這っていたほど。

この状態でよくフルタイムの仕事をしていたなあ、と今でも感心してしまいます。

巫病が改善するきっかけ

そういう状態を何年か過ごすなか、ヒーリングなども試そうかと思って、いろいろと調べたこともありますが、残念ながら完治させる方法は見つからず。

正直なところ、今でも健康への不安は完全に払しょくされた訳ではありませんが、これをすると明確に体調が良くなることはあります。

私の場合、それは神社仏閣へのお参り。特に、京都と伊勢の癒しが絶大で、不調の出やすかった時期の心身のより所でした。

このような状況が続くなか、不思議なのは、以前よりも霊やら神様やらが分かるようになったこと。神様の姿をみる、夢で話しかけられるなどの不思議な体験をしました。

熊野本宮大社や貴船神社でスピリチュアルな経験をしたのも、このころです。

思えば、多発性動脈炎による下肢の網状紫斑などは、ウロコに模様にも似ていますから、江戸時代以前であれば龍や蛇のせいだと騒がれたのかもしれませんね。

巫病と迎えた人生の転換期

体調についてお手上げの日々が続くうち、もう直ぐ寿命が尽きるとしたら、最期に何をしようかと考え始めました。

実感では余命2年というところでした。考えた末に始めたのが当ブログでしたから、当初はほとんどダイイングメッセージのつもりでした。

あまりにも具合が悪いのでオフィス勤務は諦め、前に居た会社の仕事を少しだけ手伝いながら、しばらく自宅で療養に努めることにしました。

空き時間に神社仏閣を訪れる生活になりましたが、この時点では先の見通しは立っていなかったのです。ブログを書き始めた時点では、皆様とまったく変わらない、ただの会社員だった私にとって、これかはなり大きい決断でした。

今もまだ悩んでいる部分もあるけれど、ブログをきっかけに神社仏閣の案内も始めるなど、私にとって巫病は人生の転換期となったことは、間違いないと思われます。

自分でできる巫病への対処法

これは私の見解ですが、巫病の根本的な原因は、見えないものに対するアンテナが、一時的に開放されてしまうことにあるのでは、と思っています。

つながるべき神様が不在のときに、アンテナだけ動いてしまうと、不必要な雑音を拾ってしまいますよね。これが、巫病の根源ではないかと思う。

とすれば、巫病を軽くする方法は、まず自分に必要な神仏を探すこと。隙を作るとヘンナモノが入って来るのですから、神社仏閣へご挨拶まわりをして、隙間ができないように神仏に埋めていただくのですね。

私は伊勢神宮で、かなり体調が良くなりました。

通常の寺社巡りの他にも、自分にできる範囲で構いませんから、こうしたら神仏の役に立てるかな?ということを、自分の頭で考えて実行するのも大切です。

私の場合はブログを書いたり、寺社ガイドをしたりすることで、神仏とのつながりを深めるきっかけにしています。

こうした簡単なことでも体調はましになるようですから、巫病かもしれない症状で苦しいときの対策として、お勧めしたく存じますよ。

巫病の元祖カミダーリ

最後に、もっと巫病について知りたい方のために、巫病の起源と思われる沖縄のカミダーリについて紹介しておきましょう。

巫病について調べていくと、必ず行きつくのが沖縄のカミダーリ。これはつまり「神ダーリ」(=神様がかかること)で、特に沖縄のユタ、ノロと呼ばれる巫女さんたちの間で使われる言葉です。

ユタやノロは神様や霊の存在を見聞きし、占い、ご祈祷なども引き受けることがありますから、本土の人間からすると霊能者のようなイメージがあるようです。

このユタやノロの世界にも、神様の道に入る前、能力の目覚める途中で試練を経験すると考えられているそうで、これをカミダーリまたはターリと呼ぶそうですよ。

カミダーリにかかった人は、御嶽(ウタキ)とよばれる沖縄の聖地を巡って、神様とつながるまでの貴重な時期を過ごすそうです。本土でも、霊能力が欲しくて霊場巡りをする行者さんがいるように、御嶽めぐりも一種の修行なのかもしれませんね。

なお沖縄の場合、カミダーリになる原因は、神様へのご奉仕をしていない状況そのものにあるとします。

沖縄では霊能者や祈祷師とはいわず、神霊を扱う力のある方を神人(かみんちゅ)と呼びますが、神人となることはその人間の使命とされますから、能力を役立てないでいると、お役目を果たしなさいと神様からのサインが来るそう。これがカミダーリの症状を招くといいます。

本土における巫病の考え方と、よく似ていることが分かりますね。

沖縄のカミダーリに興味のある方は、下記の本に、ユタやノロとして活動している方の経験談が収録されています。

ユタ―遥かなる 神々の島―

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現代は選択肢も色々

沖縄と比べると、本土の人間は見えない世界を忘れがちですが、だからといって巫病にかからないともいえません。もし、この記事を読んで巫病かもしれないと思った方は、本来の使命とされる人の役に立つこと、それもなるべく神様の意に沿ったことをするのが良いそうですよ。

これは霊媒体質の方も一緒かもしれませんが、神仏につながる徳を積み、プラスのご縁を深くすることは、巡り巡って自分を助けてくれるんですね。

私自身も色々な取り組みの末に、少しずつ状況が改善して来ました。最後は参考に、巫病の真っただ中にいたころの記事を残しておきましょう。

過去を振り返って

<以下、2017年11月18日に書いた文章>

このブログがどういう風になっていくか、私自身でも分からないのですけれど。もしも私の症状がターリなら、今、神様の話をすることに本腰を入れたことで、改善していくものもあるかもしれません。

それもなく、現代医学でも治らないというのであれば、よくて10年くらいかもしれない、そういう風に思いきれるようになったら、妙に開き直れたのも事実です。

ほら、老後の心配とかしなくて済むでしょう?それに、やりたいことは今やらなくちゃ、という行動力も付きましたし、自分にとって本当に大切な人との時間をもっと優先しようかな、と思うように自分が変わったことは、収穫だったと思います。

なので、ごく少数派かもしれませんが、もし私と同じように見えることを隠していて、何か体の不調があるという方がいらっしゃったら、ひとつの可能性として私はターリに触れたいと思います。

 

見返してみると、我ながら心身の状態に雲泥の差を感じます。

今でも、私は巫病だと断言できる気持ちにはなっていません。神様からの使命などと大それたこともしていませんけれども、神仏にお近づきになる事で、なんとなく居心地よく過ごせるようになったと感じておりますよ。

それでは、本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!

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