月読宮スピリチュアルな体験の後日談

皆様、こんにちは。京都に来てから早半年、やっと少し状況が落ち着いて来ました。

まだまとまった文章を書く余裕まではないので、今日は記事というより、ちょっと不思議な雑談をしたいと思います。

よろしくお付き合いくださいませ。

 

▼目次

 

月読宮の不思議な話

少し古い記事になりますが、以前、伊勢の月読宮に参拝をしたときの不思議な小話を紹介したことがあります。

【過去記事】月読宮のガイド ご利益・アクセス・スピリチュアルな話まで

参拝の時、月読宮の神様かは分からないけれど、白い衣装を身にまとい、たくさんの玉をつなげた首飾りをした女性の姿を感じた、という話でした。

この女性の姿が、古代人にしてはとても華やかでしたので、日本人というよりも古代ローマ人の衣装を身に着けているようにさえ見えましたので、私としては本当に月読宮の神様なのかな?と疑問に思ったわけです。

 

突然現れた手がかり

それが先日、テレビを見ていた時のこと。

歴史ものの番組で、不意に月読宮の女性と、よく似た出で立ちの古代人が紹介されているのに気が付いたのです。その番組は、火山噴火で滅びた古代の王国を紹介する内容でした。

いわく、古代の首長が治める国では、政治のかわりに神々への祭祀を執り行っており、古代の王様とはシャーマンも兼ねていたのではないか?という話でした。

私の目にとまったのは、古代の王様の奥様。当時の再現映像に登場した奥様役の方が、ちょうどローブのような白い裾の長い服を着ており、玉の首飾りをさげて、頭上にまとめた髪には緑色の葉をさしている。

この古代ローマのアポロン神を思い出させるような出で立ちは、まさに私が月読宮で見かけた女性の姿そのものでした。

ローマ女性のイメージ

 

月読宮の女性の正体は?

これは単なる偶然なのか、すぐには分かりませんでしたが、テレビ局がきちんと時代考証をして女性の衣装を決めた可能性もあります。それならば、月読宮で見かけた女性のような人が、本当に神様に仕えていたのかもしれない。

そう思い立ち、番組に登場したキーワードを参考に改めて調べてみたところ、なんと本当に、当時の人達がこうした衣装を身にまとっていたらしいことが分かりました。

まず、私が目にしたような女性のヘアスタイルは、古墳島田と呼ばれるそう。名前のとおり古墳時代の女性の装いであったといいます。

古墳時代の女性の埴輪(はにわ)

そして古代ローマ人に似た衣装は、特に西日本の巫女たちが身に着けたものらしく、月桂樹の冠に見えた髪飾りは真折鬘(まさきのかつら)と呼ばれたそう。いずれも神様にお仕えする女性の服装とのことでした。

古事記に登場する天宇受売命(あめのうずめのみこと)も、同様の装いをしていたと考えられているそうです。私が月読宮で目撃した女性も、もしかすると古代、この地で奉仕していた巫女さんだったのかもしれませんね。

天宇受売命のイメージ

月読宮の女性は上記のイメージ図と違い、髪を結いあげていましたが、これは女性の埴輪とより似たスタイルだったのではないでしょうか。

著作権の都合上、復元された衣装の写真をここには掲載できないのですが、興味のある方は、「古墳時代 女性 衣装」の3つの言葉を検索してみてください。

風俗博物館等のHPで紹介されている衣装の復元図などが、この記事の最初に登場したヨーロッパの女神さまとよく似た雰囲気であることが分かると思います。

あるいは真折鬘(まさきのかつら)について調べてみても、古墳時代頃の巫女さんの髪型が分かるはずです。

前回、月読宮で女性の姿を見ただけでは衣装の呼び名も、関係する年代も分からなかったため、インターネットで検索するキーワードさえ分かりませんでした。でも、意外なところから答えが見つかったなと、自分でも少し驚いた次第です。

以上、月読宮の不思議な話の後日談でした。

 

本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!

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