龍神様って何だろう?学問と実体験からまとめ

皆様、こんばんは。仕事の都合で、またしばし更新がゆっくりになっていますが、お許しを。

今日は、改めて龍神様についてお話をさせていただこうと思います。これまでに調べて来た神社物仏閣の歴史と、私自身の不思議な体験との両方より、龍神様とは何かを考えてみました。

日本の神様の歴史を総復習したい方に、お勧めの内容ですよ。よろしくお付き合いくださいませ。

 

▼目次

(初稿:2019年11月27日)

 

定説:龍神様は水の精霊である

龍神様って何の神様なの?といわれたとき、もっともよく耳にするのは、水の神様という回答でしょう。

神社の手水舎に置かれた龍神像や、滝を龍神様に見立てて祀る神社など、目にしたことのある方も多いはずです。

自然界には色々な形態の水が存在するなかで、特に龍神様と結びつけられて来たのは、天の水である雨、山の水である川や滝、それから海の潮など。

一方で地下の湧き水のような規模の小さいものや、表に現れていない水については、龍神様にかわり白蛇(いわゆるみ~さん)を守護神とすることもあるようです。

龍神様と白蛇は同一視されることも多く、まとめて龍蛇神と呼ばれることもあるように、根本的には同じ存在と見られているそうですよ。

こうした事実を考えれば龍神様も白蛇も、その正体は水の精霊と考えて間違いなさそうですね。

 

龍神様の正体はお稲荷さんか?

龍神様の話に、なぜ急にお稲荷さんが出て来るの、と思うかもしれません。でも実は、お稲荷さんを祀っている神社の多くは、一緒に龍神様を祀っています。

理由はハッキリしていないものの、一説にはお稲荷さんの守護する稲作に、水が不可欠だったからともいわれます。

田んぼを作るには、必ず水を引く必要があります。そのためには、河川の水を整備しなければいけません。

この時、水を鎮める役割を持つのが龍神様であることから、農家さんでは田んぼと関係の深い神様として、龍神様(またはみ~さん)をお稲荷さんと伴に祀る習慣があったといいます。

もちろん、畑を作るために適度な雨が必要だったことも、農民たちが龍神様を崇敬する理由になったことでしょう。

しかしながら、この後で詳しくお話しますが、龍神様の正体がお稲荷さんか?といえば、私は違うように思います。むしろ、お稲荷さんの正体が龍蛇神であるというのが正解ではないでしょうか。

理由を簡単にいうと、日本の神様の歴史をたどれば、龍蛇神への信仰はお稲荷さんよりも古いといわれているからです。

例えば、稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社を見ますと、稲荷山にはもともと藤森神社という別の神社があったそうです。その頃は、山内の滝や湧き水こそが神様とされ、龍蛇神として信仰されていたとのこと。

実際に稲荷神社では、白狐は神様のお手伝い役に過ぎず、神様そのものではない、といわれますよね。つまり、お使い役の狐たちのリーダーとなるのが、神様ということです。

その神様はどんな方かといえば、それこそが龍神様やみ~さんと呼ばれる水の神様ではないか、といわれているそうです。

 

龍神様は雷様だった?

これは龍神様に限らず、広く神様の正体についての話になります。

実は、神様とは何か?といえば、もとはカミナリ様だったとする説がございます。カミナリとはつまり、神様のおなりだった、とする考え方ですね。

自然現象の雷は空から落ち、巨大な木の天辺などに降りて、地上にたどり着きますよね。つまり、落雷が神様の降臨と見なされたらしいのです。

昔の人が雷を神様と考えていた痕跡は、京都の伏見稲荷大社などに残っていて、例えば稲荷山の上にある長者社というお社には、雷石という巨大な岩があります。伝説によれば、この岩には雷様が封じられているとのこと。

この他にも、稲荷山に茂る杉の巨木は、そこに神様が降りて来るもの、つまり杉の木そのものが神様であるとする信仰もあるそうです。

こうした信仰は、もともと落雷した杉の木を見て、そこに神様が宿っていると考えていた名残なのかもしれません。

ちなみに、農業をする人の間では、春先に雷が轟くならその年は豊作になる、といわれていたそうです。

お稲荷さんは、豊作をもたらす神様として知れていますよね。こうした事実を考えると、お稲荷さんの正体であるというみ~さんや龍神様も、最初は雷様であったのかもしれませんね。

 

ご先祖さま信仰と龍神様

龍蛇神の正体を学問的に調べると、行き着くのはご先祖さまの魂です。

学術的には、龍蛇神とは、死後に生まれ変わる魂を象徴しているといいますよね。これは、蛇の生態と関係しているそうです。

冬眠と復活を繰り返す、あるいは脱皮して肉体をリフレッシュする、蛇という生き物の姿は、縄文人からすれば、死後にまた復活する魂を連想させたらしい。そこから、龍蛇神への信仰が生まれたと考えられているそうです。

縄文時代の信仰の姿を残すという諏訪大社に行くと、上社前宮という場所を中心に、ミシャグチ神という蛇の神様に関する遺跡が残っています。

太古のシャーマンたちは、ここで地面に潜り復活する祭祀をしていたそうです。つまり、死と再生を模倣する儀式を行っていたんですね。

縄文人にとって、魂とは不滅の存在だったのでしょう。

亡くなった人間の肉体から抜け出た魂は、妊娠した女性のお腹に戻り、新しい命としてこの世にまた誕生する。そんな思想があったのかもしれませんね。

なお、こうした蛇になぞらえる不死の儀式は、弥生時代頃から変化してきたようです。

これは縄文人より後に日本に来た、いわゆる弥生人たちの考え方の影響があったらしく、だんだんと龍蛇よりも田んぼと稲を尊ぶ思想が広まりました。

弥生人が大事にしたのは、稲作と機織り。ご先祖さまの魂が還る舞台も、山と田んぼに変わっていきました。

蛇の脱皮になぞらえていた肉体の蘇生は、新しい着物に着替えること(機織り仕事)に変化したと考えられます。

いずれにせよ、古代の神事が魂の不滅を祈るものだったとすれば、龍蛇神の正体は私たちのご先祖さまといえそうですね。

 

スピリチュアルな経験から探る龍神様

この話は何度か書いているので簡単に申しますが、私は過去に、龍神様を目撃したのではないか、と思える経験を実際にしたことがあります。

といっても、視覚で認識するのは得意ではないので、「姿を見た」といえる経験は数回しかありません。

自然界に生息する野生の龍神様は、まるで天の川のような姿をしており、光であるにも関わらず帯のようなかたちがあって、波のように動いていました。

社殿の前に立たないと出て来ない訳でなく、境内の一帯どこで目を閉じても、光の姿で出てきたように記憶しています。

一方、龍神様祠や、龍が棲む池などは全国的にたくさんあるものの、自分から出て来てくれる龍がいる場所は少ないな、というのも実感です。

私の実感からいえば、龍がそこに宿るのは住処に居るだけのことで、他に目的があるようには見えません。

人間と自分たち(龍蛇)はまったく別の生き物なので、お互いに邪魔にならなければ気にしない、という姿勢のものがほとんどです。

現実世界の生き物に例えれば、どことなくサンショウウオに似ているかもしれません。

サンショウウオは、極めて清浄な水の流れる川にしか棲まないといいます。清らかな川の、特別に居心地のよい岩場を巣にして、周辺は自分の縄張りにするそうです。

サンショウウオにいわせれば、自分こそが縄張りのヌシで、一番えらいんだと自負しているでしょう。こういう野生動物らしい態度は、龍神様の性質そのままですよね。

日本最古の神社という奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)でも、神様の正体は巨大なヘビであるといいます。人間はこの神様を、オオモノヌシと名付けました。

龍蛇神の本質は、ヌシであるというのが、私の率直な印象なのです。

 

番外編:呪術者の使役する龍蛇

龍や蛇というと、古来、呪術において使役される存在の定番でもありますね。

呪術を実行する人たちからすれば、龍蛇は使役する対象で、時には他人を攻撃する目的で飛ばすなど、武器や道具であったといいます。

こうした仕事をする龍蛇は、神様と異なる役目をしていることは間違いありません。でも、神様でないとしたら、その正体は何なのでしょうか。

私自身は座学の人間なので、実践現場のことは詳しくありません。その前提ですけれども、通りがかりの目撃談だけでいえば、使役される龍蛇は神様ではないと思いました。

私の目撃談というのは、某組織の宿舎にかかっていたらしい呪術のこと。建物の2階の壁から、消し炭のように黒い蛇の尾が、庭へ付き出しているのを見た経験があります。

この時に見た龍は、気配が普通の龍蛇と全く違っておりました。

何が違うかというと、自然界から生まれて来る龍や蛇は命の一種なので、心もあれば意思もあり、生き物らしさがあるんです。彼らは嫌になれば逃げたり隠れたりもする、勝手気ままな存在です。

それに比べると、呪術で使役される龍蛇というのは、生命の躍動も何もないのです。砂の傀儡(くぐつ)という雰囲気でした。生きている蝶々と、ピンにさされた標本のごとき違い、といえば分かるでしょうか。

私が目撃した呪術用の蛇も、正に標本のよう。身じろぎもせず、ぐったり尾を垂らして留まっていたました。

あれは、人間の念で造られていたのでしょうか。あるいは呪術で使役するために、標本のように一度、命を抜かれたのかもしれません。

 

結論:龍神様とは何か?

ここまで龍神様の正体を、学問・信仰・スピリチュアルな話のそれぞれから見て参りました。

でも、結局のところ龍神様の正体って何なの?と問われれば、私にも正直よく分かりません。

実在する存在としての龍神様は、肉体を持たない命なのだと思います。自然の中で生まれて来る精霊のようなもので、龍が元気な土地は良質な水に恵まれる、ということではないでしょうか。

霊的なアンテナを持ったシャーマンは昔からいたでしょうから、そういう人たちが龍を見つけて、ここに神様がいると感じたのかもしれません。

ただし、龍神様を自分たちのご先祖さまだと思っていたかといえば、別の話でしょう。学問的には龍蛇がご先祖さまの魂であった、というのは理解できますが、縄文人からすれば龍蛇と魂を一緒に考えていたのではないかも、と思います。

それは、蛇の生態をモノマネすることで、本来、死を迎えるはずの人間が転生できるように、と祈るのが古代祭祀の目的だったのでは、と思うからですね。

むしろ蛇にはなれない人間だからこそ、蛇のような不思議な生き方ができたら・・・、そう祈ったのではないでしょうか。

それに、縄文時代と弥生時代では、死後の世界への考え方が異なっているようです。

毎年、田んぼに訪れたという弥生人の神様は、死者の魂というよりも、自然界で生成される生命エネルギーをイメージしていた気がします。生命エネルギーそれ自体が、神様であると見なされたのかもしれませんね。

弥生時代には既に、神仙思想や道教的な考え方が、大陸で生まれていたのでしょう。

肉体をもって生まれたことのあるものと、そうではない自然界の神様(龍蛇神)は、やはり分けて考えるべきというのが結論になりそうです。少なくとも、貴船の龍神様が昔、人間であったようには見えないというのが私の印象でございます。

 

古代日本の神様を知りたい方へ

本日の記事について、よりよく知りたい方のための参考書を紹介いたします。いずれも縄文時代~の龍蛇神信仰について解説されていますよ。

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なお、本記事では省略しておりますが、古来の信仰にもっとも近い風習を今に残しているのは沖縄県なのだそうです。

 

以上、日本の龍神様について詳しく語ってみました。

本日も、最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!

2件のコメント

  1. いつも拝見しています。注連縄は、縄が雲で御幣が雷を表わし、その形が蛇様であることからも、今回のお話はとても分かり易かったです。ミシャグチ神→石神井につながり石神井川が流れ込む不忍池(篠輪津)の周囲が、龍神に繋がるお社ばかりであり、また上野東側が金龍山浅草寺であることを合わせて考えると、江戸庶民と龍神様の繋がりが少し体感出来ますね。また、楽しみにしております。

    1. コメントありがとうございます。色々な説があって迷うところですが、雷さま説は説得力がありますよね。ご指摘のとおり、江戸っ子はお稲荷さん大好きだったそうですが、根本的には龍神信仰だったと考えられそうですね。

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