言霊の力と土地神様の関係

皆様、こんばんは。また久しぶりの更新になってしまいました。

引っ越し後、生活リズムが変わり、うまく自分の時間を作れずにいたのですが、やっと少し落ち着いてきました。

今回は短いながら、東京と関西の神様パワーの違いについて、私の感じていることを書きたいと思います。

よろしくお付き合いくださいませ。

▼目次

(初稿:2020年9月15日)

 

言霊の力が強い土地

関西に来てから感じていることなのですが、こちらにいると言霊に宿る力が強くなるように思います。

なんで?といわれると困るのですが、でも、やっぱり言霊が強い。それが関西地域に広く宿る神様の力なのだと思います。

私の場合、これはうかつに口に出すとまずいな、と日常会話の最中に本能的に感じることが増えました。

なんというか、追い風・向かい風の時にボールを投げる違いに近いものを感じます。同じ言葉を発していても、それが勢いを持って運命の流れに飛び込んでいくような感覚があるのです。

 

言霊思想とは何か?

ちなみに、ここで私のいう言霊の力とは、単純に放った言葉が現実になる力のこと。古代の日本人は、言葉はそれ自体に不思議な力が宿ると考えていたそうで、この力のために、口に出したことは実現してしまうと信じていました。

今でも受験生の前で「落ちた」、「滑った」のように不合格を連想させる言葉は、縁起が悪いから口に出してはいけない、などの会話のマナーがありますよね。

これなども、言葉を口に出すことで、それが実現してしまうかもしれないという日本の言霊思想の名残ではないでしょうか。

 

古代人による言霊の使い方

なぜ日本に言霊思想が定着したのか、理由ははっきりしませんが、私はそのひとつに占いが関係していたのではないか?と考えています。

古代日本の裁判では、容疑者に拷問のような扱いをして、それでも怪我がなければ無罪とする、といったことが行われていたといいます。容疑者に弁明させて、熱湯をかけても火傷ができなければ無罪などという裁き方をしていた、という説があるのですね。

つまり、その人間の心が清らかで、言葉に嘘がなければ、神様の守護を得て無事だろうという発想です。現代人からすれば、ちょっと驚くような言霊の使い方ですよね。

 

願いを叶える言霊の効果

以上はかなり原始的な例ですが、もう少し後、飛鳥時代頃の話からも、古代人が言霊にどのような効果を期待していたか想像のできる例があります。

皆さまは、言霊信仰の強かったであろう時代の、こんな和歌はご存知でしょうか。

『熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな』
意味:熟田津(にぎたつ)で船に乗ろうと月が出るのを待っていると、潮の流れも良いあんばいになってきた。さぁ、今こそ漕ぎ出しましょう。

 

これは、万葉の歌姫・額田大王(ぬかたのおおきみ)が、船出を祝うため出港の前に読んだ一首といわれています。専門の研究者方の間でも色々な説が唱えられるようですが、なぜ彼女はこのような歌を詠んだのでしょうか。

スピリチュアルな視点に立つ私のような人間から見ると、ここには正に、言霊信仰が隠されているように思います。

例えば、この和歌に詠まれている津、船、月はいずれも、月読命という神様の司るものという共通点があります。

だから、私はこの和歌を最初に見た時、額田大王は航海の無事を、月の神様に向かって宣誓したのかなと思いました。出港する前に、海の状態が良く航海が無事に行くことを、神様に向かって宣言することで、言葉通りの現実を創ろうとしたのではないか、と。

 

言霊の力と未来

額田大王の和歌について、私の解釈をご覧になっていて、詳しい方ならピンと来たかもしれません。そうです、額田大王の和歌の使い方は、古代人の占い「誓約(うけひ)」にそっくりなんですね。

誓約というのは古事記にも登場する、ごく原始的な占いのこと。神様に向かって、AならばBになる、CならばDになる、という風に現実が動くと宣言し、どんな結果が出たのかで神様の答えを見極める、という占いです。

言い換えれば、自分の言葉通りの現実が現れれば、それは神様が味方している験(しるし)、という風に言霊思想も変化していったのではないでしょうか。

「神様、教えてください」という気持ちで行われていた占いが「神様、叶えてください」という祈りになったとすると、言霊は神様の力を引き寄せるための手段といえるのかもしれません。

額田大王は、航海守護をしてくれる月の神様に対して捧げる歌だからこそ、船出をテーマにした祈りの和歌を詠んだのではないでしょうか。神様の得意分野に合わせた祈りを和歌に詠むことで、言霊のパワーを最大限に発揮させようとしたということですね。

 

言霊の効果を強くするものとは

こう考えると、言霊による祈りというのは、神様の力を借りてこそ叶うのかもしれませんね。

私がどこかの土地を訪れるときに感じる神様というのは、どうも(自然の力を感じるのはもちろんですが)古いご先祖さまたちの想念を含んでいるのではないか、と自分としては思います。

だとすれば、私が最初にお話した関西地域の神様の力というのも、突き詰めればご先祖さまの心によるもの。言霊を信じる古い魂の想念が、今を生きる私たちへの遺産となって、願い事を天に伝える手助けをしているのかもしれません。

そして言霊の力の最たるものは、未来を支配する力であるとも思うのです。

 

言霊と土地の神様の関係

京都をはじめ、日本の歴史では都が関西にあった期間の方が長いのです。その大和の人々は、万葉の頃には既に、和歌という文化を持っていました。

私たちの歴史の中に、どれだけ多く言霊を信じるご先祖さまが存在したことでしょうか。

神様といえば、巨岩や滝のような自然由来の存在を思い浮かべるかもしれませんが、豊臣秀吉、徳川家康のように、人間でありながら死後、神様として祀られる方もいます。

さらに時代を辿れば、出雲や諏訪のように自分たちの祖先をそのまま神様として祀る風習は、縄文時代にまで遡れるとのこと。つまり、ほとんどの神様は、自然と人間の魂、この2種類に分けられるということですね。

こう考えると、今は仏様として供養される私たちのご先祖さまも、昔なら土地の神様になっていく存在――神上がりする存在であった、ということが分かりますよね。

土地によって言霊の力に違いがあるとすれば、それはきっと古い時代、言葉を大事にしていたご先祖様の心が土地に残っているからなのかもしれません。

 

以上、言霊に関する私なりの考察でした。本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!

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