冥途に通じる?京都・六道珍皇寺

 

皆さま、こんばんは。

本日は、京都に数あるお寺の中でも、私が際立って個性的だなあと思っている洛東の古刹、六道珍皇寺さんを紹介致します。

お寺といえば、ふつうはお葬式を行って、死者を送り出す場所と考えられていますよね。

 

しかしながら、ここ六道珍皇寺は別。

京都の地元の方たちの間では、お盆の時期にご先祖様をお迎えに上がる場所として有名なんですよ。

なぜこのお寺だけが、お迎えの地になったのか定かではありませんが、もしかするとその昔、この辺りに土地を持っていた小野篁公の伝説が、後世に影響を与えたのかもしれません。

平安時代までさかのぼる京都の怪しい話、よろしければお付き合いくださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

冥界に通じる謎の井戸

 

六道珍皇寺に残されている小野篁公にまつわる伝説は、どれもが地獄に関する話です。

小野篁公は、昼は朝廷に仕え夜は閻魔様に仕えていたという伝説に始まり、閻魔様に顔がきくことを活かして、紫式部が死後、地獄に堕ちたのを救済したという伝説まで存在する、ちょっと不思議な方。平安時代の優秀な官僚です。

 

この小野篁公、京都市内の死者の埋葬を管理する役職についていたせいか、出世を妬まれたのかは分かりませんが、とにかく閻魔様のお友達として生前はうわさが絶えなかった様子。

彼の不思議なエピソードを代表するのが、井戸からあの世に通ったという話で、六道珍皇寺にはその時に使用されたという井戸が、今でも残っているんですね。

住職さんのお話によれば、更に最近になって、この世に戻ってくる時に使う「蘇りの井戸」が見つかった、とのこと。

私がお参りにうかがった時(2016年・夏)の時点では、六道珍皇寺の夏の特別拝観で一般公開されていたので、見学にうかがいました。

 


 

六道珍皇寺の巨大な霊道

 

六道珍皇寺には2か所井戸があって、境内の中心よりに黄泉路通いの井戸(入口)が、敷地の端の方に黄泉がえりの井戸(出口)があります。

黄泉がえりの井戸だとされる場所は他にも複数あり、真偽不明となっていたようですが、住職さんのお話のとおりなら、これで両方が特定されたといえるでしょう。

 

そして私の目から見ると、この井戸のある土地、実に面白いところでした。

新しく発見されたという蘇りの井戸を見学しようと、境内でも比較的奥まった突き当りに近づいた私は、そこにいわゆる霊道が走っているのに気が付いたんです。

霊道とは、亡くなった方たちがあの世に渡るための道のようなもの、と言われています。

成仏してもらうための道なので、不吉だとかいうものではないのですが、霊の通り道なので、この上に住宅など建ててしまうと心霊スポットになってしまうことがあるようです。

だから、そういう場所では霊がとどまってしまわないよう、気をつけなくてはいけない。

あの世へに出入りできる場所という六道珍皇寺の伝説を考えると、ぴったりな環境が整っているように感じました。

 

私は目で見るのは苦手なので触覚で判断するんですが、霊道って滝壺みたいにヒンヤリするんですね。

こちらに限らず、寺社をめぐっていると霊道を見つけることは珍しくないのですが、六道珍皇寺の黄泉がえりの井戸に通っているものは、スケールが桁違いに大きかったので、不思議な伝説さもありなんと、妙に納得してしまいました。

 

小野篁公が地獄に通っていたという伝説にいては、真実かどうかは分かりません。

ただ、こちらの霊道はうっかりするとあの世にまぎれこんでしまいそうな、異界の入り口に相応しいと感じさせる雰囲気のある場所でした。

ここで瞑想しているうちに、うっかり寝込んでしまうようなことがあれば、もしかしたら。

そんな妄想をしてしまうくらいには、濃厚に冥界を感じる京都のミステリースポット。

それが六道珍皇寺ではないか、と私は感じましたよ。

 

 

それは、本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

 

 

霊道に関する後日談

その後の旅行で気になったスポットを調べて行った結果、六道珍皇寺を通過する霊道が、ここの他にも本能寺~一条戻り橋のあたりにかけて、つながっているらしいることが判明しました。

これらの土地は京都の中でも、鬼や死者に関する伝説が残っている地域になります。

これはもしかして、昔の人の実話ホラーだったのでは・・・と、私にとってはますます想像の膨らむ発見となりました。

※この記事は、2017年6月の記事をもとに2018年5月26日に書き直しました。

 

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