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【伊勢神宮】天照大神の正体に迫る!

【伊勢神宮】天照大神の正体に迫る!

皆様、こんばんは。今日は思うところありまして、伊勢神宮のご祭神・天照大神様についておさらいする記事を書くことに致しました。

巷には色々な説が溢れている現状ですが、実際のところ、天照大神様にはどんな歴史があるのでしょう?

伊勢での私個人の不思議な体験と一緒に、一般的な説も総復習して参りますよ。よろしくお付き合いくださいませ。

▼目次

(初稿:2020年1月16日)

 

日本神話が語る天照大神の姿

まず、日本神話の世界では、天照大神様がどんな風に描かれているでしょうか?確認して参りましょう。

古事記の神代巻を見ますと、天照大神様は太陽神として説明されていますね。伊邪那岐命が、黄泉の国から生還した後、禊をした時に生まれたとの伝説がございます。

そして、天照大神は高天原という、神様の世界を統治する偉い神様になりますが、普段は田んぼを作ったり、機織りをしたりと、お仕事をしながら過ごしておられました。日本は一番偉い神様でも、働いている国なんですね。面白いですね。

そして、天照大神様ご自身が田んぼを作っていたことから、お米は日本の神様を象徴するアイテムにもなりました。天照大神はご自分の子孫を人間界に降ろした時も、稲穂を与えて、神様のお墨付きの象徴にしたのです。

それから、天皇家を初めとした日本国民は、稲作を引き継ぐようにと申し渡して、稲作を国づくりの基本とするよう定めたのも、天照大神様であったといわれておりますね。

 

太陽神じゃない?天照大神と伊勢大神

古事記のエピソードのほか、近代も国家神道の考え方が普及するなかで、伊勢神宮の神様=天照大神様=太陽の神様だ!と世間的にはすっかり定着していきました。

しかしながら、もともとの伊勢の神様は天照大神ではなかった、というのも学術的にはいわれていることなのです。

実は、「天照大神」というのは、皇室が神様に送ったお名前。それ以前の太陽神といえば、単純に「日の神」と呼ばれていたといいます。また、日の神とは別に、伊勢におられる神様のことは、「伊勢大神」など地名にもとづく呼び方をしていたそうです。

このように天照大神は、超メジャーな神様でありながら、学術的には正体が判明していない難しい歴史のある方なのですね。

ちなみに天照大神の名前が初めて記録に登場するのは、天武天皇の時代で、それ以前の文献では、「天照大神」という表現は登場しないそう。

このため、

  1. 太陽神という存在はあった
  2. 伊勢は聖地とされていた
  3. 天照大神の名前はなかった
  4. よって、太陽神=伊勢大神=天照大神ではなかった

というのが専門家の見解になっているようです。

また、現在の天照大神様=太陽の女神という解釈についても裏付けは乏しいようで、もともとは男神であったとの説を唱える学者さんもおられます。

こうした説によりますと、古い時代、天照大神様に奉仕する巫女がいて、ヒルメと呼ばれていたそうです。時代を経るにつれ、ヒルメの巫女と天照大神の存在が混同されるようになった結果、天照大神の性別が女性とされるようになった、といいます。

このように複雑きわまりない伊勢の神様ですが、現在のように、伊勢神宮=天照大神(女)という考え方が生まれたのには、どんな経緯があったのでしょうか?次に見て参りましょう。

 

天照大神の誕生秘話

伊勢大神に「天照大神」の名前を捧げたのは、天武天皇といわれています。時代は、7世紀頃のことですね。

天武天皇はクーデターに成功して日本を納めることになり、天皇という制度を整えて、日本で初めて天皇という肩書きを持つ、国家元首に就任されました。その奥様の持統天皇の時代にかけて、伊勢の神宮の基本的なシステムが整えられたので、現在の伊勢神宮を作ったのはこのお2人といっても過言ではありません。

天武天皇が伊勢大神にお名前を送った直接のきっかけは、このクーデターへの勝利祈願をしたこと、そしてそれが叶えられたことにありました。

願い事を叶えていただいたお礼に、日本国を広く遍く照らす、尊い神様としての役割をお任せしたうえ、それを象徴する「天照大神」というお名前を奉ったのですね。

同時に、天武の家系に味方してくれた天照大神様を、皇室の守護神とも見なして、皇祖神(天皇家のご先祖さまにあたる神様)としてのご加護もお願いするようになりました。

 

天照大神の正体を考える

こうした事実もありますので、私自身は伊勢神宮の神様は、最初から太陽神・天照大神様ではなかったと思っています。きっと、もとは海や山の恵み豊かな「伊勢国」が最初にあって、地域の原始的な神様が祀られた、小規模な聖地だったのでしょう。

そこに、天武天皇が戦勝を叶えてくれた神様をお連れして、更には「天照大神」という御神名を奉りました。だから、伊勢は幾重もの神話が織りなす聖地である、と私は思っています。

天武天皇が行った、名前を付けるという行為は、実は呪術の基本中の基本でもありますね。

見えない世界の者とコミュニケーションをとるとき、名前を与えることで、役割や関係性などのルールを決めることができるのです。

だとすれば、天武天皇が天照大神という名前を奉ったという出来事は、伊勢の神様にとっては「生まれ変わり体験」のようなものだったのかもしれません。

つまり、天照大神の御神名が与えられた瞬間、伊勢の神様は新しい存在に変化した。遂には、天皇家の親役を引き受けることで、日本の総氏神への昇格も果たした、ということですね。

伊勢神宮については諸説乱れるところなので、現代の一番ふつうの考え方を理解したい方は、一度きちんとした書籍でも復習することをお勧めいたします。

 

天照大神に関する私の体験

ここからは私自身が、伊勢で天照大神様を感じたときの経験談をお話致しましょう。不思議な話が大丈夫な方のみ、お付き合いくださいませ。

とはいえ、あくまでも私個人の経験ですよ。これが絶対の正解だ!という話ではありませんから、そういう風に感じた人もいるんだな、というつもりで聞いてください。

神宮を参拝するとき、私に感じられる神様は、いつも強大で高いところにある存在です。内宮のご正宮にうかがった時や、その後、境内をめぐっている時には特に、天照大神の心とでも言うべきものが、自分の胸の中に注いでくるのが分かります。

神様への御目通りを待って行列をなす人間たちを、神様は奥から眺めておられ、参拝者のひとりひとりを平等に祝福してくださいます。時にはその力が、金色の光の渦となっているのを感じたこともありました。

神宮に流れる秩序は、三重県を越えて全国へ広まり、神を愛する日本人の心を呼び覚ますパワー。

日本の国民が手を取り合い、日々の営みをつつがなくこなせるように、調和を叶える秩序・摂理の源こそが、天照大神様なのでしょう。

 

伊勢神宮と神様のひとりごと

伊勢の神様を象徴するできごととして、私には忘れられない思い出があります。

ある時、神宮を訪れると、たくさんの参詣者が並ぶ石段の下に、車椅子の方が家族を待っておられるのを見かけました。車椅子でも、神宮まで参拝したいという熱意を素晴らしいと思いましたが、同時に、ここまで来てご正宮まで上がれないのは残念なのではないかと、人ごとながら気にかかったのです。

すると、不思議なことに神様のお心のようなものが伝わって来ました。肉眼に見えている正宮の建物と重なって、金色の地平線から登る太陽光と、その中心にたくさんの玉飾りを付けた女王様のイメージが、一瞬だけ重なりました。

いわく、正宮まで上がって来たかどうかは、神様としては関係ない、と。神宮を訪れた者については、すべて心にかけてくださっており、例え階段の下までであろうと、もう神様の方ではその人が神宮まで来たと承知しているのだといいます。

物理的に、正宮まで上がって来たことよりも、どのような状況であっても伊勢神宮まで参詣しようという志をもち、それを実行してくれたということ。その心が神様に響き伝わるからこそ、志さえあれば神様への御目通りは叶ったことになるのだ、と。

つまり、伊勢神宮を参拝したいなあという、神様への敬愛の気持ちが、天照大神と参詣者をつなぐトランシーバーになるということですね。

もちろん、日本国民の総氏神さまといわれる御方ですから、参拝した人とそうでない人を差別したりはなさいませんが、神宮まで来てくれたという気持ちが嬉しい、と。そういう神様との心の共鳴を経験させていただけるのが、伊勢神宮という場所なのではないかと思います。

 

天照大神を感じるコツは

最後は、私の思う天照大神様を感じるコツを紹介して、本記事の結びとしたく存じます。

私は、今の神宮のご祭神は天照大神様で間違いないと思います。ただし、普通の神様ではありませんから、一般的な神霊を探るようなアプローチですと、うまくアンテナにかかってこないかもしれない、というのが私の印象です。

では、どうしたら良いかと申しますと、「神様を感じたい人間側のスケールを大きくすること」、これが必要だと思うのです。

妙な疑念を挟んだりせず、神宮を敬愛する心で臨むべきことは、言うまでもありません。個人のための神様ではありませんから、自分が特別だという気持ちは一切捨ててください。

そして、人間側のスケールを大きくするというのは、志を高く持つということです。あるいは、広く世の中を見渡す視線を持つこと、と言ってもいいかもしれませんね。

政治や社会や経済のことなど、国単位で解決しなければいけない問題に普段から興味を持って、自分もそれを解決する当事者なんだと責任感を持って生きるのです。

なぜならば、私の思う天照大神様というのは、そのまま日本国の秩序を象徴する神様だからです。神の御心にあるものを、人間の方から意識することで、神様に近づく努力とするのですね。

私にとっての天照大神様は、国土の隅々まで照らす光であり、昼夜を司る時間の流れのようでもあり、人格として捉えることは難しいのではないか、という印象でした。いわば、日本国で暮らす私たち全員の上を流れゆく、摂理そのものが神様なのです。

受け手になる人間側に、神様=キャラクターや人物のような思い込みがあると、神様のスケールを受けとめきれないかもしれません。点描画のドットひとつを眺めて、何の絵か分からない!と間違えるような状態、これが一番おかしやすい間違いではないかと思いました。

伊勢の神様に御目通り願いたい方は、そもそも相手がはるかに目上なのですから、呼び出して出て来るという感覚を捨てるべきではないでしょうか。

人格という概念にとらわれることなく、伊勢神宮の空間全体を、ここに流れるエネルギーの摂理を、ありのままに感じてみてください。そして、この地に宿る巨大な神様は、いついかなる時であっても、私たちの命の上を流れていたのだ、と気が付いてください。

神宮に参拝しているその時だけでなく、今まで生きて来た時間も、神宮を出たその後も、天照大神の授ける日の恵みと時の秩序は、日本に生きるすべての命を広く遍く照らしておられるのです。

 

神様のメッセージと人間の器

誤解なきよう申せば、こちらに掲載している内容を含めて、天照大神様という神様が、私個人に対してだけ何かのメッセージをくださったということはありません。

こちらで紹介する内容はいずれも、伊勢の地にいけば誰にでも与えられるであろう言葉を、私なりにすくいあげ、人間に分かりやすいよう翻訳したものです。

そして今回は改めて、スケールの大きい神様への翻訳作業は、おそろしいものだと思い知った次第です。こうした作業では、自然の精霊との対話と違って、インタビュアーとなる人間の器・人間性が丸写しになるのですね。

インタビュアーの理解できない次元の話を、いくら神様に聞いても無駄なのかもしれません。自分の限界を突き付けて来る鏡が伊勢でもある、というのが正直な感想でした。

 

以上、天照大神様について、私なりのまとめ記事でした。

本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!

タグ: 伊勢神宮