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【京都・鞍馬寺】護法魔王尊と龍伝説の秘密

【京都・鞍馬寺】護法魔王尊と龍伝説の秘密

皆様、こんばんは。

本日は、京都ツアーの下見の際にあった、ちょっと不思議な話の第2段です。

異色の存在感を放つ洛北の古刹・鞍馬寺の尊天とはどんな方なのでしょう?

私なりに思うところを綴りました。

表向きの話と違う部分があるので、単なる私の感想として受け止めていただければ嬉しいです。

京都と仏教のお好きな皆様、よろしくお付き合いくださいませ。

 

▼目次

(初稿:2019年9月3日)

 

鞍馬寺の尊天・護法魔王尊とは?

鞍馬寺は、お寺として独自の信仰を持った霊場です。

お寺に伝わる「鞍馬蓋寺縁起」という書物に寄りますと、その起源は平安京の遷都の以前。

唐招提寺からやって来た鑑禎上人(がんちょうしょうにん)が毘沙門天をご本尊として置いた草庵から始まった場所といわれているそうです。

昭和になってからは、鞍馬弘教(くらまこうきょう)という新宗派として天台宗から独立し、古神道や修験道の流れを組む、独自の路線をより強く打ち出した信仰のあり方を確立しました。

現在の公式のご由緒によれば、650万年前に人類救済の使命をもって、金星から降臨した護法魔王尊の力に満ちた霊地とされています。

この護法魔王尊こそが鞍馬寺の御本尊。時に「尊天」とも呼ばれておりますね。

なお、魔王尊といっても、西洋的な悪魔の意味ではなく、仏の道を守護する存在とされ、大地を象徴する存在なのだそうですよ。

ただし、正確にいえば魔王尊=尊天という訳でもなく、尊天というのは本来、鞍馬寺に祀られる毘沙門天、千手観音、魔王尊という3人の仏様が一体になった時の様子を表す呼び名とされます。

毘沙門天は光、千手観音は愛、魔王尊は力の化身と考えられているのだとか。

尊天とは本来、この三仏のまとまった姿、つまり森羅万象を指して使う呼び名なのですね。

 

鞍馬寺の現在

鞍馬寺は、昨年に京都を直撃した台風の被害が大きかった地域でもあります。

私が参拝した2019年8月末の時点では、奥の院までの参道は通行可能(入山には愛山費:300円が必要)となっていたものの、鞍馬駅側から山門に入ると、まだ台風の傷跡が目につく状態でした。

鞍馬寺のガイドによく取り上げられる魔王尊の滝や、牛若丸の師匠の鞍馬天狗を祀る鬼一法眼社などは参拝不可となっていたので、これからお参り予定の方はご注意ください。

 

護法魔王尊の正体に迫る

鞍馬寺については過去にもブログに取り上げたことがありましたね。

以前の記事では、ご本堂の魔王尊の姿が非常に勇ましいこと、まるで千手観音のすべての手に武器を持っているような武神らしさがあることなどをお話したかと存じます。

今になって訪れてみても、鞍馬寺=武神の印象は変わりません。

それでも、私自身が仏教について勉強したことで、前よりも感じ取ったものの解釈を上手にできるようになりました。

このため、鞍馬寺の仏様についても、昔と違う見方ができるようになった部分があるのですね。

これはちょっと、言っても良いのか迷ったのですけれど。結論から言うと、魔王尊の正体が少しだけ分かるような経験を致しました。

何かというと鞍馬寺の場合、本堂の御本尊にお参りしている時に、真っ黒な肌、大憤怒の形相、数多の手に武器を握る、とても強そうな仏様が見えるのでございます。

ただ怒っているばかりでなく、黒い火炎に取り囲まれているのも感じます。

その姿は、どこか閻魔大王を彷彿とさせるものでした。

「魔」=「閻魔さま」のことなのだろうか。でも、閻魔様ともカラーが違う。

閻魔さまは落ち着いているのに対し、燃え盛る躍動感が強いんですね。珍しい仏様だなあと当初は思っておりました。

今回、私が感じた魔王尊の姿も同様ではありましたけれど、ようやく気が付いたのです。

これは大元帥明王(たいげんみょうおう)さまではないか、と。

大元帥明王さまは珍しい仏様で、日本国内ですと有名なのは、奈良の秋篠寺で秘仏として置かれている方でしょうか。

半信半疑のではありましたが、早速、大元帥明王について調べてみることにしました。

 

国家鎮護の鬼神・大元帥明王

大元帥明王は、国家鎮護の徳のある仏様といわれているそうです。

インドではアータバカと呼ばれる鬼神だったとされ、人間を食べる恐ろしい存在でしたが、仏道に目覚めてからは、力で悪をねじ伏せる頼もしい存在となりました。

大元帥明王の出で立ちは通常、全身黒色、すさまじい憤怒の相、腰に虎皮を巻き、手足に蛇を巻きつけて、悪鬼を踏み潰す姿であらわされるとのこと。

黒色の肌というのが、本尊とされる毘沙門天さま以上に、私の感じる尊天のイメージには合うのですね。

なお、大元帥明王に祈るご祈祷に、「大元帥御修法(だいげんすいみしほ)」があるそうです。

これは、朝敵降伏・外敵撃退に霊験あらたかといわれていたものの、現代では行われていないといわれています。

大元帥御修法を行う時は、外界から完全に遮断された場所で、秋篠寺の閼伽井の水を使わなければならないというのが、一般的にいわれる話だそうですよ。

 

鞍馬の龍神・閼伽井護法善神社

いざ大元帥明王の特徴を並べて見ると、鞍馬寺と一致することが多くあったために、私は護法魔王尊には大元帥明王としての役割があるのではないか、と思うようになりました。

実際、仏教の世界では、大元帥明王を毘沙門天さまの部下と位置付けているとのこと。

鞍馬寺にいるのは大元帥明王だ、と決めつけるつもりはありませんが、御本尊の毘沙門天さまに付き添って、大元帥明王が一緒に現れたとしても、不思議はない気がいたします。

鞍馬寺と大元帥明王の関係を考える時、もうひとつ気にかかるのが、ご本堂の脇に置かれた閼伽井護法善神社という名前の龍神様の存在。

現在、社に掲げられた説明板はかすれてしまい、残念ながらよく読めませんが、竹伐り会式に関係する龍蛇を祀っているらしいことは、何とか読めました。

竹伐り会式とは、弁慶のような僧兵の出で立ちの法師たちが、龍に見立てた青竹を伐る、鞍馬寺の名物になっている行事。結果から、その年の豊作を占います。

大元帥明王のご祈祷に必要な井戸と、同じ名前の神様が居られる鞍馬寺では、古い時代、国家の安泰を祈願したこともあったのかもしれませんね。

鞍馬寺は第二の比叡山延暦寺ともいうべき、平安京守護の特別な聖地だったのではないか、と思いましたよ。

 

鞍馬寺の尊天の授けるチカラ

なお、一般的には鞍馬寺は、平安京の北方を守護するといわれます。

これは、毘沙門天様が四天王という土地を守護する仏様チームのうち、北の担当だからですね。

私が感じたように、大元帥明王が本当に鞍馬にいると証明することもできませんが、昔から王城鎮護の地であったことは間違いないようです。

鞍馬寺の男性的なパワー、武神のような勇猛さは、この土地を守って来た人間たちの祈りから生まれた面もあるのでしょう。

例えば鞍馬寺ゆかりの人物といえば、源義経、幼名・牛若丸がいます。

牛若丸を育てたのは僧兵たち。

つまり、もともと出家した武人の集まる土地だったので、御本尊の毘沙門天さまにも武勇に関する祈願が多く寄せられていたそうですよ。

武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康などの有名な武将も、鞍馬寺で戦勝祈願をしたとのこと。

同じ毘沙門天さまであっても、特に武芸に関する祈りを多く引き受けてきたことが、鞍馬寺の勇ましいパワーを生んだのかもしれませんね。

私が見た、大元帥明王さまのような面影は、僧兵たちの祈りの化身であったのかなあ、と思いました。

 

鞍馬寺をもっと知りたい方へ

最後にいつも通り、鞍馬寺が好きな方、あるいは鞍馬寺について知りたい方のため、参考書籍を紹介致します。

こちらは、鞍馬寺の貫主さまのご著書。日々の法話からまとめられており、鞍馬寺の尊天信仰が誰にでも分かりやすく説かれています。

ほか、当ブログでは鞍馬寺について、他に以下のような記事も公開しております。天狗=情報通信の神様であることから、仕事運のパワースポットとして紹介させていただいておりますよ。

 

 

以上、今日は少しマニアックな仏様の話でした。

本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!

カテゴリー: お寺 京都のお寺 仏教