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熊野本宮大社と神様の不思議な話

熊野本宮大社と神様の不思議な話

本日もお越しくださった皆さま、ありがとうございます。

今回取り上げるのは、和歌山県の熊野本宮大社です。

修験道の霊場として知られる熊野本郡大社は、速玉大社、那智の滝と共に熊野三山の愛称で古くから知られるパワースポットでした。

東京からだと遠いのが唯一の難点ではりますが、人里を離れているからこそ、現代でも豊かな自然が残っているともいえます。

 

▼目次

(最終更新:2019年2月15日)

熊野本宮大社のちょっとスピリチュアルな話

私にとっての熊野本宮大社は、京都の貴船神社と共に人生をすっかり変えてくれた、忘れられない神社です。

なぜなら、私が初めて神様との対面が叶ったと実感できる、明らかな不思議体験をした場所なんですよ。

何があったかというと、夢に神様が出て来ました。それはただの夢じゃないの、と感じる方もおられるでしょうが、私の翌日の行動を予言してくださったので、あれは神様だったんだろうと今でも信じています。

夢で拝見した神様の外見は神様のそれではなく、現実の知人の顔かたちを借りていましたが、吹き出るオーラが人間と違うので、すぐに何か特別なものが出て来たのだと気が付きました。

ここでいうオーラとは存在感の意味ではなくて、身体から噴き出す生命エネルギーみたいなもので、普通の人間であれば湯気のように見えるもの。

それが、夢に登場した神様は知人の姿かたちをとっているにも関わらず、オーラの中に火花が散って見えたんですね。

神様の背後に吹き出るオーラとそこに舞う火花を見ていると、ちょうど仏像の背後に重ねられている後輪にそっくりでした。

歴史を紐解いていきますと、仏像の中には彫師が材木の中に仏の姿を見出したことがきっかけで、制作したという伝説の残るものがありますが、ことによると本当に後輪を背負う仏の姿が見えたのかもしれません。

しかも、熊野本宮大社で不思議な経験をしている人間は、私だけではない点も興味深いところ。

熊野本宮大社に残る伝説によれば、和泉式部や一遍上人など歴史の有名人も神様からお告げをいただいた、と語り継がれているそうですよ。

神様といえば、伝説や神話の中にしか存在しないスピリチュアルな存在と思われていますが、もしかすると実在するのかも?と思わず考えたくなる不思議な聖地が熊野本宮大社なんでしょうね。

 

神様の性格を表す熊野の土地柄

神様は土地との結びつきが強い存在です。

産土神、氏神などを割り出すときに住所が参考になるように、それぞれの土地を護る役目があるとされています。

見えない世界における、土地の領主様のような存在が、日本人の考える神様ということですね。

逆に考えますと、神様は自分の守る土地のデザイナーと見ることもできます。

すると、土地ごとに備わっている雰囲気の違いが、神様の心を表現していることになります。

一般的にいわれる土地柄ですね。

だから神様の性格を考える時に、担当しておられる土地の個性を見ることは、とても大切だと私は思っています。

そのような目線で、熊野三山を初めとする熊野全体を眺めてみると、熊野権現は人間が大好きな、世にもまれな神様であることが分かってきます。

なぜなら熊野の神様は、人間に必要なものと、それ以上の素晴らしいものまで、熊野の土地にそろえてくださっているからです。

具体的に見て参りしょう。

 

熊野権現はまず、人間が飢えないように、熊野の豊かな山と、広い海を用意しました。

次に、人間には病があることを考えて、その苦しみをやわらげるために川を温泉に変えました。

そして山には薬草を植えて、人間が自分たちで治療できる環境も用意しています。

この豊かさを表すように、熊野に残っている伝説に、徐福(じょふく)という中国人の仙人の話があります。

徐福は蓬莱山という、伝説の土地に生えた薬草を求めて旅するうち熊野にたどり着き、目的のものを発見したものの中国には帰らず、そのまま熊野に移住してしまったといいます。

仙人の求めるような霊薬が生え、移住を決意させるほどの豊かさが、熊野の地にあったからこそ生まれた伝説という気がしますね。

熊野三山のふもと、熊野川の周囲には、実り豊かな土地を残しました。

熊野川の中州に位置していた熊野本宮大社は、その後の洪水により山の上に移されましたが、その跡地は大斎原(おおゆのはら)と呼ばれて、今でも熊野の観光名所になっています。

日本一という巨大な鳥居の周囲を、ずっしりと頭を垂れた稲穂が覆っている様子は、のどかながら見応えがあります。

熊野川の運んできたものが土地の栄養になって、作物の実りを助けているんですね。

命の生育を邪魔するものがない、自然エネルギーの貯水湖のような熊野だからこそ、豊かな実りがあるのかもしれません。

少しスピリチュアルなことをいえば、生命力そのものに満ちたこの土地の気は、私の目を通してみると、どこもかしこも薄っすらと七色に色づいています。

ダムの放流が停止している時期、熊野川の水面は玉虫色に輝くのですが、ご覧になられたでしょうか。

色づいた土地のオーラは、不思議なグラデーションで輝く熊野川とも似ているようです。

熊野という肥沃な土地の気が宿った水だからこそ、このように美しい色彩を見せてくれるのかもしれませんね。

 

伝統ある修験道の霊場・熊野

熊野三山・那智の滝

熊野は古くから、修験者や僧侶が荒行に挑戦する霊場でもあったせいか、この地には補陀落渡海(ふだらくとかい)という、命がけの行に関する伝承も残されています。

補陀落渡海とは、その昔、即身仏になる方法の一種として考案された作法で、生身の人間が船にこもって、そのまま沖合へと流れ出ることを言いました。

もちろん、食べ物や飲み物はなしです。

熊野以外の土地でも、修験系の地にはこれとよく似た習慣があって、飲まず食わずで土の中に埋まって即身仏となった行者さんのミイラも残っています。

最初に熊野の補陀落渡海の話をうかがった時、こんなに素晴らしい土地にいる人が、なぜ浄土なんて目指して海に出るんだろうか、もったいない!!!と心の中で叫んでしまいました。

それ程までに、熊野はありのままで命に優しい素晴らしい環境が揃っているんです。

こう聞くと、熊野の神様が格別に人間に優しい御方だといわれても、納得できるのではないでしょうか。

生きとし生けるものが、命をもったまま踏みいることのできる極楽浄土、熊野はそんな土地なのかもしれませんね。

以上、私の熊野参詣の思い出でした。

 

熊野三山と修験道に興味のある方へ

最後に、紀伊山地の霊場や修験道に興味のある方へ、お勧めの書籍を紹介させていただきます。

1.

以前、テレビニュースにもなった金峰山修験道の塩沼亮潤大阿闍梨と、別の僧侶さんとの対談をまとめた一冊。史上2人しか成功者がいないという、大峰千日回峰行について知ることもできます。

2.

こちらも同じく金峰山寺で、お寺の宗長を務めた修験者の先生が記した、誰にでも分かり易い修験道の入門書です。

3.

上記の金峰山寺宗長(執務長)・田中利典氏、熊野本宮大社宮司・九鬼家隆氏と宗教人類学者・植島啓司氏の対談本。明治の廃仏毀釈とは何だったか?を知る資料としも貴重です。

 

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

カテゴリー: 修験道 神社
タグ: 実話