【出雲大社】日本を代表する縁結びの神様
皆さま、こんばんは。
週末、ブログを見返していたのですが、改めてみると文字に起こしていない寺社も、移動していない記事もたくさんですね。我ながら全然仕事してないなと反省しました。
さて、こちらは以前にアメブロで公開した記事の加筆修正版ですが、ほぼ書下ろしの内容となりました。取り上げますのは、島根県の出雲大社。
出雲大社のご祭神である大国主さまは、日本の神様の代表格ですね。
今回は不思議な話抜きで説明するのが大変に困難ですので、恐れ入りますがスピリチュアルな話に付き合っても構わない、という方のみご覧いただければ幸いです。よろしくお付き合いくださいませ。
▼目次
- 出雲大社はどんな神社?
- 出雲大社に祀られる神様
- 出雲大社はなぜ縁結びの神様なの?
- 出雲大社へのアクセス
- 出雲旅行のお得な情報
- パワースポットとしての出雲の特徴
- 出雲式の参拝作法を確認しよう
- 出雲大社の不思議な話
- まるで王宮!出雲大社のご本殿
- 出雲大社の色々な見どころ
- 出雲大社の神様のひとりごと
- 縁結びはどうして叶う?スピリチュアルな話
- 出雲大社の神様パワーの源
- 油断は禁物!神様の世界
(初稿:2018年3月21日、最終更新:2020年1月21日)
出雲大社はどんな神社?
出雲大社といえば、いわずと知れた縁結びの神様ですね。
「いずもたいしゃ」という呼び方も知られていますが、本来は「いずものおおやしろ」と呼ぶそうです。出雲大社について知ろうと思ったら、まずは出雲の歴史を知る必要があるでしょう。
出雲大社がある島根県には、出雲国風土記(いずもこくふどき)という、この地域の昔話を集めた文献が残っています。
これが出雲の神様のことばかりでなく、独自の歴史をも伝える資料になっていて、古事記や日本書紀でおなじみの大和の神話と、異なる部分が多いことでも知られますね。
現在、日本でよく知られる神様の中にも、出雲出身の方がたくさんおられるのは、古事記の中に多くの出雲神話が取り込まれていることの影響が大きいのです。
出雲地方には、八重垣神社、佐太神社など、超古代から存在する神社がたくさんあるのですが、その中でも特別な存在とされているのが、熊野大社と出雲大社の2カ所。出雲国風土記の中で、「大社」という特別ランクの名前がついているのは、この2社しかありません。
なお、「出雲大社」の名前は、実は明治時代に改名しており、それ以前は「杵築大社(きつきたいしゃ)」と呼ばれていました。
出雲大社に祀られる神様
出雲の神様の世界には、大国主命(オオクニヌシノミコト)というリーダーが存在します。大国主さまは、出雲大社の主祭神です。
大国主命が日本の神様の世界でも特に偉いとされる理由は、芦原の中つ国という、日本の原点を開拓したから、というのが大きい様子。
神話的には、現在の日本は天照大神の子孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が統治するべき場所なので、後継者である天皇家が今でも日本の国家元首に定められていますよね。
しかし、瓊瓊杵尊の降り立った日本の「クニ」は、最初からそこにあったのではなくて、先に大国主命がつくりあげたものでした。日本国の原点をつくり、それを天孫に譲り渡した功績から、神様の世界でも特別視されているのが、出雲の大国主さまなのです。
出雲大社はなぜ縁結びの神様なの?
出雲大社が縁結びの神様とされるようになったのは、11月に行われる神在祭に理由があるようです。
昔の暦の呼び方では、普通、11月のことを「神無月(かんなづき)」と呼びますね。伝承によれば11月になると、日本国中の神様は出雲に集合するため、他の地域からは神様が居なくなってしまう、といわれて来ました。
だから、全国的には11月のことを「神無月」と呼んだのです。
一方、出雲では逆に、11月のことを「神在月(かみありづき)」と呼ぶのが伝統となっています。他の地域と違い、出雲は神様を迎える土地になりますから、こうした呼び名がついたといわれます。
出雲の神社で行われる神在祭とは、こうした日本全国の神様を出雲の地に招き入れ、歓迎するための神事なのですね。
そして、大国主命のもとに扱った神様たちは、出雲での滞在期間中に、人間同士の縁結びの相談をする、ともいわれているそうです。縁結びのご利益については、近代以降になってから考えられたとの説もございますが、出雲=八百万の神様の会議場であることは間違いないようです。
出雲大社へのアクセス
出雲大社の最寄り駅は、一畑電車の出雲大社前駅。徒歩10分程度で一の鳥居に辿りつきます。以下、最寄り駅までのアクセス情報です。
関東からは飛行機がお勧め
関東から行く場合、飛行機でのアクセスが非常に便利。出雲縁結び空港から、出雲大社まで直通で運んでくれるシャトルバスが出ているので、中には東京から日帰り参拝するかたもおられるとか。
ただし、縁結び空港への発着があるのはJALだけで、便数も多くはないため、ご注意を。
陸路のアクセス
新幹線などで岡山駅まで移動後、「やくも」という特急列車(自由席あり)に乗り換えて、JR出雲市駅を目指します。その後、一畑電車またはバスを使う2種類のルートがあります。
一畑電車アクセス:
JR出雲市駅→乗り換え/電鉄出雲市駅→一畑電車「出雲大社前」駅
バスでのアクセス:
JR出雲市駅→乗り換え/一畑バス大社線→「正門前」バス停
移動に関する注意
日帰り旅行にせず、宿泊する余裕があるのでしたら、飛行機であっても順路の効率を考えた方がよいです。
縁結び空港→出雲大社へはバスで一直線に行けますが、ホテルを松江市などにとってしまうと、島根県の半分を往復しなければいけなくなってしまいます。コースによっては米子空港から入って、鳥取→松江→出雲の順番に動く方が、効率よく色々な観光スポットを回れるかもしれません。
出雲大社と石見銀山など、島根県の西側を中心にめぐるのでしたら、出雲市や玉造温泉エリアの宿を利用するのがお勧めです。
現地での移動時間が長くなりがちですから、陸路でも空路でも、なるべくなら前日入り&現地宿泊して、観光は翌朝早くからスタートとした方が、旅を楽しめると思います。
神在月のアクセス
アクセスについて特別な注意が必要なのは、神在月の期間です。この時期の出雲に個人旅行者がたどりつくのは、至難のわざ。
というのも、宿泊施設の多くが旅行会社に押さえられてしまったり、飛行機や電車の予約が満席だったり、とにかくハードルが高いのです。余程早くから準備していないと、出雲市にすらたどり着けない、という事態になりかねません。
個人旅行者が確実に神在月の出雲に行きたいのであれば、半年前くらいから準備を始めるべきです。
あるいは、旅行会社の提供するツアーで、現地で自由行動のとれるものを選ぶ方が、かえって準備が簡単な可能性もあります。
【参考】JR・新幹線&宿泊プラン検索
【参考】国内格安航空券の検索サイト
ツアーに申し込む場合、宿泊地域は松江周辺などに離れてしまうことも多いため、目的地との位置関係を必ず確認するようにしましょう。
ほか、飛行機も電車も満席でとれなかった・・・という時は、神戸などから高速バスに乗り換える方法もありますが、やはり本数が少ないため、直前予約は難しいと思われます。
出雲旅行のお得な情報
基本的にはレンタカー移動の方が効率の良い出雲の旅ですが、公共の交通機関を利用して楽しむことも可能です。
これから出雲旅行を予定している方に、私がおすすめしたいのは、「縁結びパーフェクトチケット」というフリーチケット。
現地の電車やバスが乗り放題(JR線をのぞく)になるので、非常にお得です。有効期間は販売日から3日間。価格は3000円でした。
縁結び空港~出雲市や松江はもちろん、松江~米子空港までのシャトルバス、一畑電車・一畑バスの各線に乗車できるうえ、古代出雲歴史博物館・松江城などの人気観光スポットでも、入場料を団体価格に割引してもらえました(以上、2020年1月現在の情報)。
縁結びパーフェクトチケットの購入場所は、出雲縁結び空港/米子鬼太郎空港の案内カウンター、空港連絡バス車内、松江駅北口の一畑トラベルサービス、電鉄出雲市駅など。
飛行機で現地空港に着いた時、先に案内カウンターで購入してしまえば、最初のシャトルバスから乗り放題になりますよ。
パワースポットとしての出雲の特徴
出雲には、色々な思い出があるのですが、最初に出雲の土地柄について、私なりの紹介をして参りましょう。スピリチュアルな話が混じるので、大丈夫な方のみお付き合いください。
出雲大社を中心とした出雲市の全体について、古代国家の中核をなす巨大都市があったのではないか、というのがこの地を訪れた私の第一印象でした。
古代の出雲には、現代よりもずっと温和で、かつ秩序ある「クニ」が存在していたのかもしれません。神社だけではなく、もっと広い地域がひとつにまとまった民族の土地であったようなカラーが、今でも色濃く残っていました。
製鉄の職人、米など扱う農民、海のものを持ち込む漁民など、出雲の民はそれぞれが役割を持っていて、人間同士が協力できる体制、つまり社会を既に営んでいたことでしょう。
根拠は土地から私の感性で読み取った風景、しかないのですが。飛行機から見下ろしただけでも、出雲の土地に多くの神霊が宿り、賑わっているのが分かったんですね。
神上がりした古い人間の魂がこの地に留まって、神霊の世界のようなものを作って、地域を守護しているようでした。
出雲式の参拝作法を確認しよう
出雲には独自の参拝方法が存在することも、神社のお好きな方であればご存知ですよね。摂社末社を含め、出雲の神様にお参りするときは、2礼4拍手1拝が正式な作法です。
大注連縄の拝殿でお参りを済ませた後は、奥のご本殿へもうかがいましょう。神様の間近からお参りできるとのことで、こちらも参詣者で賑わっています。
出雲大社では、同じひとつの神座におられる大国主さまに対して、拝殿、本殿楼門、本殿西側の拝所と、全部で3カ所から参拝できるのですね。時間の都合がつくようなら、すべてを回るのがお勧めです。
本殿西側からの参拝も、伝統的な作法になっているとのこと。これは、社殿内部に鎮座する神様のお席が、西を向いているからだそうです。
西側の拝所からお参りすることで、大国主さまに正面からご挨拶を申し上げる意味があるそうですよ。
※参拝作法などじっくり学びたい方は、市販のガイドブックもございます。
出雲大社の不思議な話
出雲大社は敷地がとても広いため、ご神域の中でも土地のカラーが異なるのですが、神社らしさが出てくるのは、鳥居を二つ潜ったあたりから。
神門通りという商店街の続く参道を抜け、横断歩道を渡ると現れる二の鳥居、これを潜るとがらりと空気が変わります。
この二の鳥居から松の並木道を抜けると、おなじみの巨大な注連縄が掲げられた拝殿が現れます。 こちらは出雲大社のシンボルとなっているので、出雲大社と言われて真っ先に思い浮かべる方も多いはず。
またスピリチュアルな話になりますが、出雲大社の敷地内で、私は何度も古代人の御魂(みたま)が活動しているのを見かけました。
まず、参道脇の杵那築の森(きなずきのもり。後で詳しく紹介しています)の周辺に行くと、人が寄り集まって地面に座り込んでいるような気配が。
集落の跡か、祝(ほおり=神社を祀る一族)の祖霊でも残っているのかな?と思い調べたところ、ここが杵那築の森という古い聖域であったことが、後から判明しました。お祭りの会場などとして、使われたことのある森なのかもしれません。
他にも土地の記憶なのか、出雲大社のご本殿の裏側にも、集まって何かの作業をしている古代人の残像が見えました。素鵞社(そがのやしろ)の近くだったのですが、女性の御魂ばかりでしたので、古代の巫女さんのような方たちだったのかもしれません。
飾りの華やかな衣装を身に着けた女性たちが、明るい色の陶器の皿のようなものを囲み、野草摘みをしていました。
(訂正:あとで文献が出てきたのですが、野草は見間違いだったらしく海藻が正解らしいです。)
普通、こうした守り人の存在を感じるのは、ご神域の手前の集落の跡なのですが、出雲では敷地の内側だったことが印象的でした。
素鵞社は大国主命の親神様ともいわれますし、出雲大社というより、素鵞社に奉仕する巫女さんたちの御魂だったのかな、と予想しています。
大国主命に対する神社の守護者がいるとすれば、杵那築の森にいた御魂たちが、そうなのかもしれません。
まるで王宮!出雲大社のご本殿
ご神域内に、これだけ多くの御魂が残っているのは、出雲が古代の大都会だったからなのだと思います。
普通の村よりずっと大きな共同体、つまりは「クニ」が営まれ、古代人の都庁のような役目をしていたのが出雲だったなら、私が見た古代人の御魂も、土地の記憶の一種なのだと思います。
とはいえ、古代社会の都庁ですから、現代人の感覚でいえば、江戸時代頃の村くらいの規模のクニでしょうけれども。出雲にくると、古代のクニの基本は、住民同士の絆だったんだなあと感じます。
神様と人間の距離が近い、家族的な絆が出雲の特徴なのかもしれません。神様=先祖という考えのある地域なので、神様と人間の絆も濃いんですね。
今でも、出雲大社で御祈祷を受ける時は、参拝者も玉垣の内側まで入って神事を行うことになっていますよね。一般的な寺社では、結界の内側に参拝者は入れないのは普通です。
出雲ではなぜOKなのか疑問だったのですが、神様を祖先として信仰してきた、出雲の歴史と関係があるのでしょうか。玉垣の内側まで上がって参拝するということは、大国主命と謁見することと同じなのかもしれませんね。
出雲大社の色々な見どころ
出雲大社は非常に広く、ご本殿の他にも、たくさんの見どころがありました。以下、私がパワースポットとしてお勧めしたい場所を挙げます。
<祓社>
ご本殿の他に訪れるべき場所として、最初に挙げられるのは参道横の祓社でしょうか。祓い清めの神様が祀られているので、最初に参拝することで参詣者の心身を清めていただけるといわれているそうですよ。
<素鵞社>
ご本殿の裏手にまわると、素鵞社と呼ばれているところがあります。こちらは、大国主命のお父様(あるいはもっと前の祖先とも)にあたる、素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀るお社。
出雲の祖というべき神様であることから、こちらも入念にお参りをしている方が多く見られました。
<杵那築の森>
杵那築の森は、先にも紹介しましたね。大国主さまの像の手前、木々の茂る原っぱがそれです。ほとんどの人が素通りする場所ですが、実はここも重要な聖地といわれています。
杵那築の「杵」は、神社の宮柱を建てる前に、地面を固めるために使う道具のこと。名前のとおり杵那築の森は、出雲大社の建立をするとき天津神々が集まった場所といわれ、更には神殿造りに使った道具を埋めた、といわれているそうです。
人が少ないからなのか、杵那築の森~博物館の辺りの草原が、意外に神社を守護する御魂の存在を濃厚に感じるスポットでした。
ごく古い聖地だからなのか、杵那築の森には鳥居だけを置いた不思議な神社があります。森という土地そのものを祀るために、ご本殿が存在しないのです。
出雲大社の神様のひとりごと
出雲大社のご神域内をすべて回ってみた感想として、私はなぜか楼門の辺りが、ご祭神とつなげやすいスポットに感じました。楼門の奥に見えるご本殿に向かい、手を合わせていたとき、まぶたの裏に人の姿が浮かんで来たんですね。
それは30歳になるかならないか、というくらいの男性でした。
白い装束に身を包み、腰には太刀をはき、髪は「みずら」のごとく両耳の脇にまとめた姿。首には骨か何かに糸を通して造ったらしい艶のある白い首飾りを下げています。頭頂にかがやく金色の飾りは、彼がこの土地の王者であることを告げているようでした。
本当に、歴史の教科書などに掲載されている古代の王様そのままの姿でしたので、先入観で見間違えたのかな、と最初は思わず疑ってしまったのですが、日を改めて再訪した時も同じ方が見えたので、ここに鎮座する存在なのだと思います。
もちろんこれだけでは、この方が出雲大社のご祭神・大国主命であるという確証は得られません。なので、この地を守護する霊的なリーダー、という風に私は受け止めることにしました。
男性によれば、どうも出雲大社のある土地というのは、もともと宮廷あるいは役所のような場所だった様子。
あらゆる地方の人間がやって来て、大国主とよばれた王様にご意向を確認し、時には裁判のように住民同士のトラブルを仲裁するような仕事が、この地で行われていたと感じました。
今でも、政治のことを「まつりごと」と表現することがありますよね。古代人にとっては、神様に関するお仕事も、同じく「まつりごと」だったのでしょう。
そういう時代の政治(神事)の一大中心地だったのが、出雲大社という場所なのではないでしょうか。
以上、古代史の話が続いてしまいましたね。出雲神話の世界や実際の歴史を学ぼうとすると、かなりの情報量になるため、本記事ではここまでと致します。
本格的でなくても良いから、あらすじを手軽に学びたい!という場合、出雲(鳥取県)出身の妖怪まんが家・水木しげる先生が、古事記や出雲国風土記を参照して描いた漫画作品もございます。
縁結びはどうして叶う?スピリチュアルな話
以上を考えると、出雲大社というのは本来、政治的なリーダー向けのパワースポットなのかもしれません。そんな場所が、なぜ今は縁結びのパワースポットになったのか、訊ける範囲で訊いてみたのですけれど。
以下、読みやすくするために会話形式で紹介しましょう。
(実際、こういう言葉が聞こえた訳ではありません。疑問に対して、スルスルと回答が入ってくる、という受け取り方をしたものです。)
【質問】
なぜ民は、この地を縁結びの聖地として、頼りにするのでしょうか。
【回答】
縁結びというものの本質を、なんだと思うか。人間と人間、物と物を出会わせるだけでは、縁が結ばれたことにはならない。
出会ったもの同士が互いに協力し、それから先も縁を続けられてこそ、縁は結ばれたことになる。そして、統治者の仕事というのは、正にこの縁結びなのだ。
民と民との争いを仲裁し、必要な労働力が、求められる場所に届いているのか確認する。
活かされていない仕事や資源がないかを見届け、個々が協力しあえる環境をつくること。それが政の本質である。
・・・と、このように縁結びの意味をうかがいました。
この回答の主旨に添えば、縁結びというのは、新しいご縁を探すことばかりではないのでしょうね。縁結びを願うなら、誰か/何かと、コンビネーションを発揮するための努力も必要という風に私は解釈しましたよ。
今あるご縁や、通りすがりの小さなご縁。そういうものを大切に拾っていき、信頼を得て生まれる絆こそ、本当のご縁といえるのでしょう。
大国主命の場合、民と民とのご縁が順調に育つよう、リーダーとして見守るのがお仕事だったとのこと。どうすればお互いを殺しあわず、息の合った関係を築いていけるのか、的確な判断力を持つ神様なのだと思います。
きっと、古代のクニをつくった統治者の一番の仕事、それは住民同士の絆を強くすることだったんですね。そういう古代リーダーの職能を今に伝えるのが、出雲大社の縁結びなのでしょう。
だとすると、出雲大社で縁結びを祈願することの本質は、大国主命にあやかり的確な判断力・配慮ができる能力を分けていただくことなのかもしれませんね。
出雲大社の神様パワーの源
出雲大社の建っている土地は、海に近く、海からの自然のパワーを受けていることは間違ないでしょう。
でも、それ以上に出雲の個性的なところは、たくさんの古代人の魂に守護されている点だと思います。人間の祈りによって、海の聖地から縁結びの聖地へと、進化を遂げたのが出雲の神様でははないか、という印象があります。
ご神域の中でも特にカラーの異なるのが、出雲大社の裏側(本殿の北)に建てられている、素鵞社(そがのやしろ)。出雲大社よりも前から存在した、小さな祠か何かだったように感じました。
ここの何が特別かというと、出雲大社の中でも一段と清浄なエネルギーが流れ出る拠点になっていると思うのです。もともとは背後の霊山を信仰する場所で、海と山のエネルギーが合わさるパワースポットだったのかな、と思いました。
考古学的にも、出雲大社の背後の山から、剣や鐘などが大量に出土したそうで、古代人が奉納した祭具と見られるそうです。素鵞社は、ご神域に流れる土地のパワーの起点になっていると感じます。
素鵞社のご祭神は素戔嗚命。ご本殿の祭神、大国主命の義理の父君であることも、私には偶然とは思えませんでした。
初めにこの土地に鎮座していた神様だからこそ、より霊山に近く、境内でも高い場所にお祀りされているのではないでしょうか。
油断は禁物!神様の世界
さて、今回はスピリチュアルな要素の強い記事になってしまいました。
楼門で見た男性の話を見て、大国主さまだったんじゃないの?と感じた方もおられたかもしれませんね。でも、この道の専門家にいわせれば、自らを神と名乗るものは疑ってかかれ、ということです。
私の場合はプロのような能力もありませんので、代わりの自衛策として、何が見えてもいたずらにひれ伏さないことにしています。なぜなら、神様もどきの方が褒められたい願望が強いからですね。
見えた・聞こえたからと素直に反応していると、相手が変なものだった場合に、つけ上がらせてしまうリスクがあるのです。
まともな神様であれば、そう簡単に怒りません。だから、淡々としているのが良い、というのが私の考えです。
神様の判断は難しく、一筋縄ではいきません。「大国主命ですか?」と訊いて「そうです。」と答えてくれたとしても、嘘をつかれている可能性もあります。
変なものに振り回されるくらいなら、距離を置いて付き合うのが無難ですよね。
自然エネルギーや人間の魂から昇華したものだと、自分を神様だと認識していないこともありますし、存命中の名前が現代と異なっていたりする、という問題もあります。
実際、大国主さまの場合、昔の文献には「オオナムチ」と書かれていることの方が圧倒的に多いのです。大国主は肩書きで、個人の名前ではない可能性も高い。「大国主さま」と呼んだら、たくさんの御魂が出てきてしまう可能性だってある訳です。
仮に神様とつながっても、現代人とは言葉も感覚も違うから、大国主命って何?と用語の壁にぶつかったり、偉い人だと(生前の気質は残るので)つまらない庶民の質問には答えてくれなかったり、ということもあります。
こうした事情を考えると、私が感じているものは土地の記憶ではないか、と自分では予想しています。土地の記憶、自然のエネルギー、それを形作る人間の祈り。全部が揃って「神様のキャラクター」が決まるのではないでしょうか。
以上、全く新しい記事に生まれ変わってしまった、出雲大社の参拝報告でした。
本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!
拝読いたしました。
分かりやすい記述いつもありがとうございます。
昨年6月に出雲大社境内及び周辺にだけ2日間合計8時間滞在しまして、記述の中の本殿裏のお社とその裏山には同様の感覚、また東側北島国造館には私のスピリチュアルな理由から懐かしい想いにとらわれました。同時に石川県羽咋市の気多大社も、本殿裏の山の中の入らずの森にスサノオノミコトを奥宮として祭祀しており、参拝時に同様の体感と甘い風の香に包まれたことを思い出した次第です。
これからもまた様々な解説をしていただきます様宜しくお願い致します。
こんばんは。
コメントをいただけて嬉しいです。ありがとうございます。
出雲は調べたら調べただけ、色々な情報が出てきますよね。
私自身は伊勢の方が相性がよいと感じますが、
出雲の温かい賑やかさも素敵だなあと思っています。
すてきなご縁をお持ちのようで、うらやましいかぎりです。
寺社の案内記事はいずれも、読者の皆様になるべく丁寧なご案内を、
という気持ちで綴っております。
よろしければ、またいつでも遊びにお越しください。