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千本閻魔堂・京都のお盆と精霊迎え

千本閻魔堂・京都のお盆と精霊迎え

皆さま、こんばんは。梅雨が明けたら、あっという間に真夏の陽気になりましたね。

京都のお盆の精霊迎え・精霊送りの風習について、お話したく存じます。特に京都に多く残る冥界の伝説に興味のある皆様、よろしくお付き合いくださいませ。

▼目次

(初稿:2018年9月14日、最終更新:2019年8月4日)

 

京都のお盆・六道まいり

京都のお盆は、独特の作法があることで知られます。

京都にはいくつか、あの世とこの世の境目とされる場所があり、お盆の時期になると、ご先祖さまの魂を迎えるため決まったお寺を参拝する習わしがあって、これを六道まいりとも呼ぶそうです。

簡単にいえば、あの世とこの世の境目にあるお寺まで、亡くなった家族を出迎えに行く風習ですね。そしてお盆の終わる時期になれば、きちんとお見送りにも行く。

生きた人間に接するように、ご先祖さまの霊魂に接する伝統は、よその地域とは一味違う、京都の夏の風物詩です。

特に六道珍皇寺さんで行う「精霊迎え」が最も有名なようですが、実は京都市内には他にも、同様の作法でお盆を行ってくださる場所が複数ありました。

今回は中でも印象の強かった、千本閻魔堂さんを取り上げることに致しますよ。

 

引接寺・千本閻魔堂とは?

京都のお盆を知るため、私が訪れたうち印象深かったのは、千本通の引接寺さま。千本閻魔堂の愛称で知られ、ご本尊が閻魔様という珍しいお寺です。

千本閻魔堂の位置する上京区千本通蘆山寺上ル閻魔前町は、蓮台野と呼ばれる京都の風葬地でした。風葬地は、今の感覚だと火葬場と墓地を兼ねたようなものでしょうか。

平安時代頃、亡骸を持ち込んで土に還すための一種の共同墓地だった場所ですが、このような地域は衛生面などで問題が起こりやすいため、小野篁という役人が管理していたといいます。

蓮台野へ運ばれてくる死者を弔うために、小野篁公は自らこの地に閻魔様の像を建立したといわれ、そのことがお寺の起源になったとのこと。

そのためなのか、夏にお邪魔すると、隣接する他のお寺さんでも鐘楼迎えの案内が出ていました。

なお、千本閻魔堂さんの初代の閻魔さま像は応仁の乱で焼けてしまったそう。現在の尊像は、15世紀に改めて彫られたものといいます。大人の背丈よりも大きい像は見ごたえ十分。

鐘楼迎えの時期にお参りすると、御供養のためか堂内には録音した誦経が絶えまなく流れていました。死者の供養という視点に立つとき、最も本質を感じさせてくれる場所であったと思います。

 

千本閻魔堂の六道まいり

京都のお盆のハイライトは、8月15日の夜に行われる送り火。

鳥居、舟、大の字などを模した炎を郊外の山肌に点火する儀式で、一番よく知られる左右の大の字にちなんで、大文字焼きとも呼びます。

京都のお盆の風景を見たいのであれば、8月15日以前に現地に入り、少なくとも16日までは滞在していなければなりません。

私が千本閻魔堂に注目した当初の理由は、精霊迎えの期日が他よりも遅く、精霊送りの前日にあたる8月15日までとなっていたからでした。

本来の六道まいりは、精霊迎えと精霊送りをセットで行うことになっているのですが、六道珍皇寺さんなど他のお寺では、お迎え期間を8月7日~10日頃までとしていたので、スケジュールの都合がつけられず。

千本閻魔堂さんであれば、15日に精霊迎えをさせてもらい、翌16日に再度お参りすれば精霊送りもお願いできるのではないか、というつもりでした。

最終的にこちらの精霊供養への参加は見送ったものの、この時期に京都を訪れる予定のある方は、上記の期間であればいつもと違う京都のお盆を見ることが出来るかと存じますよ。

 

六道参りを締めくくる精霊送り

千本閻魔堂さんを初め、京都のお盆の行事にお邪魔する場合、精霊迎えだけでなく、なるべく精霊送りまで参加するのがお勧めです。

精霊迎えが故人を迎え入れる行事であるのに対して、精霊送りはお見送りの儀式。ご先祖さまがあの世へ戻るところまで見届けるのが、本来の伝統のあり方と考えられるからですね。

千本閻魔堂さんのように、同じお寺でお迎えと見送りの両方を担ってくださるところもありますが、中には片方の役割しかないところもありますから、参加の際は下調べを入念に。

三条寺町通りの矢田寺さまなどは、8月16日、お見送りだけする場所とされているようで、境内にあるのも「送り鐘」というお別れの鐘のみでした。

 

千本閻魔堂の参拝ガイド

千本閻魔堂さんの所在地は、西陣の千本寺之内と呼ばれるエリア。北野天満宮、上七軒からは比較的近いです。

京都駅からはであればバス利用、乾隆校前が最寄りですが、よりバスの本数は大通りに面している千本今出川バス停の方が多くて便利でした。

千本今出川で下車しても、徒歩10分程度あれば着ける距離ですから、出発地からの路線やダイヤを参考にルートを選ぶのが良いかもしれませんね。

千本閻魔堂とお盆の鐘

京都のお盆に関する千本閻魔堂の見所は、迎え鐘という重要な鐘があるところでしょう。お精霊さん(故人の魂)に呼びかける特別な鐘と考えられているそうで、迎え鐘を突くことで、お盆のため戻ってこようとする家族に「迎えに来たよ」の合図をすることができるといわれます。

千本閻魔堂さんの鐘の珍しいところは、これひとつで迎え鐘と送り鐘を兼ねている点なのかもしれません。片方の役割のみのお寺さんもある中、一箇所で両方のお参りができることに興味をそそられました。

 

京都の桜の穴場スポット

更に、千本閻魔堂さまは、隠れたお花見の名所でもあります。普賢象桜という珍しい種類の桜が咲く場所として知られます。

普賢象桜は花びらが多いため、ぼんぼりのようにボリュームのある花が特徴的。観光地化の著しい近年でも、寺町通りは比較的静かなのも嬉しいところです。桜の時期、京都でのんびりお寺巡りを・・・と考えている方には非常にお勧め。

お寺の密集する地域なので、千本釈迦堂、釘抜き地蔵尊など他の名刹へも徒歩でめぐることができ、移動の効率が良いですよ。

茶道に興味のある方は、少し足を延ばして堀川通まで抜ければ、家元として知られる裏千家・表千家のお屋敷と、茶道資料館のようなミュージアムもあるエリアです。

(注意:茶道資料館は休館している日時が多いです。訪問前にHPなどで空いているかどうか確認しておくのがお勧めです。)

 

千本閻魔堂の不思議な伝説

千本閻魔堂と関係の深い歴史上の人物として名前のあがる、小野篁公。長身の美男子(小野小町の血縁者)であったうえ、頭脳明晰のエリートだったといわれていることから、平安女子の憧れの人だったのかもしれません。

というのも、実はかの有名な紫式部が小野篁のファンだったのでは?という話があるのですね。

源氏物語の宇治十帖に登場する観音像は小野篁作の聖観音像がモデルといわれているそうで、紫式部は自分より少し前の時代を生き、仏教を深く理解していた小野篁公に憧れていたのでは、とも考えられるそうですよ。この聖観音像は現在、宇治の興正寺に奉安されているものといわれています。

こうした噂のもうひとつの根拠になっているのが、小野篁と紫式部のお墓。千本閻魔堂からそう遠くない紫野の辻に、今も仲良く並んでいますので、文学の好きな方はお参りしても良いかもしれませんね。

2人のお墓が並んでいる理由は、死後、地獄に落ちた紫式部を小野篁が救ったからという説もあるそうです。

紫式部は源氏物語という超大作を書き上げましたが、男女の愛欲は仏教では煩悩にあたり、罪深いもの。よって、紫式部は死後、地獄に堕ちた(!)という伝説があるのです。

しかし、生前より閻魔様の部下としてあの世に奉公していた小野篁公がとりなしてくれたお陰で、紫式部は地獄から救われた、ともいわれるとか。

2人の歴史上の人物をめぐる、死後の不思議なご縁を感じますね。

 

以上、千本閻魔堂さまを中心に、京都のお盆の風習について紹介いたしました。

 

本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!