京都寺社ツアーの準備と稲荷山の不思議な話

皆様、こんにちは。

しばらくお休みしていた寺社ツアーですが、年内に京都ツアーも実現したいなあと思い、引き続き準備をしております。

先日、貴船神社にて誕生日ご祈祷と兼ねて、現地の確認のため、改めて京都を訪れて参りました。これにまつわる報告を、久しぶりに怪しい日記風にお話したく存じます。

神仏と不思議の好きな皆様、よろしくお付き合いくださいませ。

 

▼目次

(初稿:2019年8月31日)

 

貴船神社の誕生日ご祈祷のこと

京都の貴船神社さまでは、正式参拝など申し込んだ方を対象として、誕生日にご祈祷をしてくださいます。今年の私の誕生日にも、ご案内をいただきましたので、早速申し込むことにしました。

とはいえ、SNSをご覧くださっている読者様にお伝えしておりましたように、仕事のピークと時期が重なりそうだったのと、夏場の体調不良とで、直接、京都までうかがうか否かは迷っておりました。

結局、行った方が元気になるだろうと思い行動したところ、その通りになったので、良かったと思っています。

一時的ではあれ、心身の状態が改善したのと、あらためて神様の存在を確認する出来事があって、京都は不思議な土地だなあと感心してしまいました。

 

ご祈祷と龍神様のはなし

貴船神社のご祈祷には、もう何度もお邪魔しているのですが、毎度のように実感するのは、龍神に特有の霊気の強さ。

霊気という言葉を使うのは、貴船を初めとした龍神様のエネルギーは、ひんやりと水気を含んでいるように感じられるからです。

ご祈祷では、神主さんに祝詞をあげていただき、玉串を奉納したあと、最後に鈴によるお祓いをしていただけるのですが、この鈴の音がなる時に、すうっと体の周囲を霊気がとり巻くのを感じられました。

たぶん、見る人が視たら、龍が降りてきたように見えたことでしょう。私自身としては、鈴の音を合図にして無数の龍が巻き付いて来た、と感じられましたよ。

読者の皆さまで、貴船神社や龍神様の好きな方がおられましたら、正式参拝などにて、一度、この鈴のお祓いを受けて見ていただきたいなあと思います。

多少なりとも敏感な方でしたら、首の回りを中心に、水気が降りて来るのが分かるのではないでしょうか。

久しぶりに受ける貴船の御神気は格別で、ご祈祷後は雑念が浄化されたのか、すっかりリラックスしてしまいました。ポカンとし過ぎてしまい、言葉が出て来なくなるのが難点かもしれません。

一生懸命に言葉を並べなくとも、自然に欲望や不安を忘れ、心から安心できる場所。それが私にとっての京都、特に貴船なんですね。

神様の宿る聖地には、理屈抜きで「守られている」と納得させてくれるパワーがあるように思います。

自分と相性の良い神社を探しておられる方は、このような心の変化にも注目してみてはいかがでしょうか。

 

お稲荷さんは悩み事もお見通し

さて、このところ次々に新しい仕事が始まるのを、私が喜々として進めていると感じておられる方も多いかもしれません。

実は、そうでもないんです。むしろ、この1年くらいは引き際をどうするか、ずっと迷った一年だったかもしれません。

私の場合、もともと普通に会社勤めをしていた人間でしたが、病気をきっかけに自宅で働くようになり、療養を優先して仕事自体も減らしていました。

ブログは空いた時間を使って運営していたもので、ずっと続けようと思っていなかったのです。

体調が落ち着き普通のお勤めに戻るか、あるいは具合が悪くなりすぎて書けなくなるか。

どちらになるか分からないけれど、その時はもう止めでいいかなと思っていて、そのタイミングをいつにしようかと、どこかで考えて来たんですね。

いずれにせよ、ブログやツアーを続けるならば、生活スタイル事態を見直さなければいけないので、いまだに踏ん切りがつかないでいる部分があります。

寺社ツアーに関しても同様で、寺社のことなら神職さんや僧侶さんなど、私よりも詳しい専門家がおられますよね。

私自身は託宣を授ける霊能者でもなく、そういう仕事をするつもりもないので、どこまで力を注ぐのかも、ずっと手探りの状態でした。

つまるところ、自分の立ち位置が見つけられなかったのでしょう。でも、お稲荷さんは私の悩みをお見通しだったのかな、という出来事が今回あって、少し気持ちが変わりました。

 

伏見稲荷大社・お礼参りの不思議な話

昨年の伏見稲荷大社の本宮祭にお邪魔してから、一年が経ちます。

その後、お稲荷さんにまつわるご縁をたくさんいただき、神様や仏様のことも自分なりにたくさん勉強したように思います。

昨年、「お稲荷さんのことをもっと理解したい」と願った私の気持ちに、神様は十分応えてくださいました。

だから、今回は行くならお稲荷さんにお礼参りを、と決めて京都へ行ったんですね。

結論からいえば、お稲荷さんは、私の悩みに答えをくださったように思います。私の気持ちが変わるきっかけになったのは、お礼参り中、稲荷山であった出来事でした。

それは千本鳥居の先、人気の減った稲荷山の参道を進み、御膳谷までたどり着いた時のこと。

誰も居ない御膳谷の御社に、ひとつずつお参りしていたところ、ふと見ると拝殿の中に人がいるのに気が付きました。

つられて、私も拝殿の中から手を合わせてみようかと思い立ち、近寄ってみると神社の職員さんが、お片づけをしておられるところでした。

少し待とうか――そう思って立っていたら、職員さんの方で気が付いてくださって、立ち話が始まったんです。

お話をうかがうと、急に扇風機の調子が悪くなってしまい、立ち往生していた、と。そこに私が来たので、ちょうどいいからと、御膳谷という場所の意味、伏見稲荷の神様についてなど、案内をしてくださいました。

その中で、神社さん側のかかえる次のような課題の話をうかがったとき、私はこれを聞きに来たんだなと感じたんです。

 

お稲荷さんが私に教えてくれたこと

私のうかがったところによれば今、伏見稲荷大社では、この場所が信仰の地であるのだ、と皆さんに伝える活動に力を入れようとしている、とのことでした。

今では外国人観光客の人気ナンバーワンともいわれる伏見稲荷大社です。

その一方で、単なる観光地となりかけていること、つまり聖地としての神社のあり方が失われかけている状況に対して、何かしなければというお気持ちがあるようでした。

(これは、名前の知られた寺社であれば、どこでも同じような状況なのかもしれませんね。)

この職員さんの言葉を聞いたとき、私自身は、何かはっとするものがありました。

専門知識を並べるのでもなく、人間界と離れて神様を語るのでもなく。その間で話す人間というのが、たぶん今は圧倒的に不足しているのだ、と気が付いたからですね。

 

今どきの神仏とのお付き合い

神様や仏様が居て当たり前だった時代から比べると、現代人の常識はすっかり変わってしまいましたよね。

ちょっと寂しい話ですが、専門的な立場にある人間自身から、神仏がいることを前提に呼びかければ、客寄せと見なされてしまうこともあります。

かといって、王道の仏教や神道を勉強して説法のような話をしても、それだけで興味をもっていただくのは簡単なことではありません。

簡単にいえば、今の時代のふつうの人が求めているのは、布教・説法・信者といったものではなくて、レビューやフォロワーなんですよね。

どこかの組織に肩入れせずに、正直な感想を言ってくれる人。上限関係抜きで、面白い話をしてくれる人。

そういう人の話の方が、入口としては聞きやすいのかもしれないと思うと、ブロガーの立場だからできることがあるのかもしれません。

観光地化という状況の先頭に立たされている、伏見稲荷大社。

その神様であるお稲荷さんらしい言葉を、稲荷山らしい不思議な偶然によって、伝えていただいた経験だったのかもしれませんね。

ちなみに今回、私が思い出深い経験をした御膳谷は、伏見稲荷大社ゆかりの霊能者・砂澤たまゑさんがお塚を建てた場所でもありますね。偶然かもしれませんが、やはり稲荷山には目に見えない不思議な力が働いているような気がいたしました。

砂澤さんをご存じない方へ、書籍情報を再掲載します。

砂澤さんの霊能力について、信者さんが綴ったシリーズで、他にも2作が発売中。伏見稲荷の神様にまつわる不思議なドキュメンタリーといった内容です。

 

なお、伏見稲荷大社の宮司様が監修しておられる以下のような本もございます。

こちらでも、神霊について触れている部分があり、実在としての神様に向き合う、お稲荷さん信仰のあり方が感じられるかと存じます。信仰の地としての伏見稲荷を理解したい方にお勧めです。

 

以上、怪しい日記風の、私のひとりごとでした。

本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!

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