【大阪・住吉大社】禊祓と海の守護神
皆様、こんにちは。
ブログを初めて早くも3年が経ちましたが、ツアーや有料記事などの配信を始めてから、もっと正確で専門性のあるコンテンツを提供できたらなあという気持ちが高まりました。
結果、ここ一年はフィールドワークばかりでなく、あらためて座学にも専念しておりましたが、気が付いたらレポートをしないまま寝かせていた写真などが溜まっておりました。
そんな中から、今日は大阪の住吉大社さんを紹介したく存じます。
超人気スポットですから、既にご存知の方も多いかと思いますが、よろしくお付き合いくださいませ。
(次回ツアーの日程についても調整しておりますので、少々お待ちくださいませ。)
▼目次
(初稿:2020年1月19日)
住吉大社はどんな神社?
全国の住吉神社は約2300社あるといわれ、その総本社にあたるのが大阪の住吉大社さんですね。摂津国の一宮に指定されています。
境内の社殿の数を見ても分かるように、住吉さんには神様がいっぱい。主祭神は、底筒男命(ソコツツノオノミコト)・中筒男命(ナカツツノオノミコト)・表筒男命(ウワツツノオノミコト)と呼ばれる三柱の兄弟神で、三神をあわせて住吉大神と呼びます。
いずれの御方も、伊弉諾尊が海で禊祓をなされた時に、海中より出現したと伝えられておりますね。
この他にも、住吉大社という神社を創始した偉人として、神功皇后も第4番目のご祭神となっています。伝説によれば、神功皇后の三韓征伐のときに、皇后の船団を守護したのが住吉大社の神様であったそうですよ。
現在の住吉大社の場所を決めたのは、神功皇后その人といわれていることからも、日本有数の古社であることが分かりますね。
もちろん、船の守護だけでなく、三韓に対する勝利をもたらしてくれたのも、住吉の神様だったといいます。こうした縁起から、船の神様・武神として崇敬されてきた時代が非常に長い神様です。
また、仏教が盛んになった中世にかけては、住吉大社の神様が薬師如来・阿弥陀如来・大日如来・聖観音菩薩に当てはめて崇敬されるなど、神仏習合スタイルの信仰とも馴染みある場所。普段、神様よりも仏様の方に馴染みがあって・・・という方にも、相性の良い神社かもしれません。
住吉大社の幅広いご利益
住吉大社の神様は、色々なご利益をくださる方として知られていますが、特に有名なのは「祓」に関わる浄化のパワーですね。
主祭神である底筒男命・中筒男命・表筒男命が誕生したときの神話から、神事に欠かせない「お祓い」を叶えてくれると信じられてきました。
そして、神様の生まれた場所が海だったことから、海そのものの神様としても信仰されました。
特に航海の安全を叶えてくださると信じられていたらしく、遣唐使や遣隋使の船が出航するときは、朝廷から使者が送られて来たり、遣唐使たちの乗る船の中にも、住吉さんを祀っていたといいます。
国家レベルで重要な、海上守護の神様だったのですね。住吉大社がこれほどまでに篤く崇敬されたのは、神功皇后の伝説の存在だけでなく、立地にも関係があったそうです。
現在、周辺地域が開発されて実感しにくいものの、古い時代、境内のすぐ近くまで海が広がっていたといい、このため今でも住吉大社は海を向いて鎮座しているのです。
住吉大社の見どころは?
住吉大社は、鳥居や社殿が独特なスタイルをしていることでも知られますね。
住吉大社の社殿をみると、屋根に反りがない、直線的なかたちをしていることが分かります。これを住吉造と呼んで、他のスタイルと区別するそうです。
大嘗祭のとき、陛下がお過ごしになる大嘗宮正殿と似ているといわれます。
住吉大社では、4柱のご祭神それぞれに社殿が用意されているため、本宮と呼ばれる建物だけでも4棟が建っていて、L字型に配置されていました。これは古代の船団が、海上でとる陣の形を模している、という説があるそうです。
他、建築様式の話ではありませんが、神社のトレードマークになっている太鼓橋も見どころに挙げられるでしょうか。
京都の神泉苑にかかっている法成就橋などにも似ていますが、住吉大社の太鼓橋はサイズが大きく、目を奪われました。かつては、この橋のそばまで海が来ていたというのですから驚きです。
時間のある方は、離れにある大歳社まで足を延ばしてみましょう。ここに、おもかる石という名物の占いの石があります。石を持ち上げたときに、軽いと感じれば願い事が叶うといわれているそうですよ。
文芸の神様でもある住吉大社
勇ましい伝説をもつ住吉大社の神様には、もうひとつ意外な顔があります。それは、文芸の神様としての側面です。
記録を見ると、住吉さんのご神託は和歌で告げられることが多くあったとされます。このため何時の頃からか、和歌の神様としても信仰されるようになりました。
和歌をこよなく愛した平安人にも人気があったらしく、住吉さんは源氏物語にも、主人公たちの運命を左右する重要な神様として登場します。
場面は、須磨。都から流れてきた源氏は、住吉大社に詣でています。
その後、明石の上と出会うなどの幸運に恵まれたのは、住吉大社の神様のご加護があったからということで、光源氏の影の支援者になっている神様といわれます。しかも、源氏と明石の上の間に生まれた娘は、成長後に帝の子を出産し、国母にまで立身出世しました。
一連の幸運は、住吉大社の神様によるお取り計らいであったとすると、物語上、いかにパワフルで重要な神様であるかが分かりますね。
とにかく熱い!住吉大社の信心
私が参拝した日は、たまたま大祭の直前だったこともあってか、境内の賑わいもひとしおでした。
ただ摂社末社を巡っている間だけでも、3回以上もお神楽に出くわしまして、関西における「信心」の熱気を特に強く感じた場所でした。
ご祈祷やお神楽に申し込む方たちが、良い意味で「絶対にご利益をいただけるぞ!」と確信したような熱気があって、寺社という文化は関西が原点なんだよなあと、思い知らされました。
そして、こうした熱気に包まれた場所でありながら、あっけらかんと明るく陽気なのも、住吉大社さんの特徴であるというのが私の印象です。
敏感な体質の方は分かると思うのですが、願掛けに熱心な人が集まり過ぎる場所というのは、実は人間の欲も寄せ集める傾向がありますよね。
だから、境内の日陰の辺りや、窪んだ段差のあるところなどに、淀んだ気が溜まっていたりしていることも。影響を受けやすい人だと、こういう淀みに足を取られてしまい、境内で躓いたり転んでしまうこともあるようです。
ところが、住吉大社さんの場合、これだけ沢山の参詣者があって、どんどん御祈願をしているにも関わらず、境内の空気が本当にカラッと明るい。
その理由はやはり、住吉大社に祀られているのが、「祓」の神様だからではないか、というのが私の予想です。
ご神木が素晴らしい楠珺社
個人的に素敵だなあと感じたのは、境内の東側(第一本宮の裏側)、楠珺社(なんくんしゃ)と呼ばれる神様をお祀りした場所です。
こちらは1000年楠という、巨大なご神木を神様としてお祀りしているそうで、周辺には他にも、目を見張るような大樹がそびえていました。
ご神木が好き!という方とお話しておりますと、木霊の宿る木には、不思議な生々しさがあると仰いますが、こちらの木々は正にそんな雰囲気。
生い茂る枝葉の合間から、白蛇が降りてきそうな瑞々しさがあり、きっと本当に神様の宿る木なんだろうなあ、と私でも感じることができました。
こちらでは、初辰のご縁日もあるそうですから、み~さん(巳)の住処となっているのでしょう。写真で見ても、ただ者ではないご神木のオーラが伝わるかなと思うのですが、いかがでしょうか。
なお、み~さんの霊場には、よく一緒にお稲荷さんもお祀りされていますよね。
私にとっての楠珺社は、巳&稲荷コンビで活躍してくれる神社の典型のような場所で、瑞々しいお稲荷さんといった雰囲気もありました。稲荷信仰の核心は巳さんとも聞きますが、「変化する神様」を感じやすい場所ではないかと思います。
パワースポットとしての住吉大社
最後に、ちょっとスピリチュアルな話になりますが、私が感じた住吉大社の神様パワーについて紹介したく存じます。
ここまで紹介さしあげたとおり、住吉大社は海と船の神様として長らく信仰されて来ました。今の神社の雰囲気がなんとなくのんびりしているのも、穏やかな海原とのつながりを感じさせますね。
ただし私の本音を申せば、現在の住吉大社さんは、海神と一言でくくれる神様ではないように思いました。
具体的にいうと、ずっと人間の生活を守護してきたために、パワースポットとしても「人間による、人間のための場所」という性質が強くなっている、と感じたのです。
昔、地形が違っていた頃は、海という自然の中にあって、自然のパワーをたっぷり受ける神社であったのかもしれませんが、今はむしろ、崇敬者の愛情と祈りの力が神様パワーの原動力になっているのではないでしょうか。
神功皇后の伝説が残っているとおり、創建の頃から、人間の相手をすることが当たり前になっているのでしょう。人里から離れた霊場とは違って、人間に寄り添い相手をしてくれる、温かい神様であると思います。
参拝予定の方は、一人よりも家族や友人と一緒に訪れる方が、住吉の神様には賑やかで相応しいかもしれません。土地柄、船旅の拠点になっていたともいいますし、人と人の交流をサポートするようなご加護をくださるのでは、と感じましたよ。
以上、住吉大社の神様や見どころについて、私なりに紹介させていただきました。
近隣に住んでいたら、私もどんどんお神楽やご祈祷に申し込んでいたかもしれなせん。関西の神様対するパッションが、素直にうらやましいなあと感じられた場所でございました。
それでは、本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!