本当に神様がいる神社とは?逆効果パワースポットを避ける方法
皆様、こんばんは。お元気でお過ごしでしょうか?
久しぶりの更新となって恐縮です。外出自粛ムードが高まる中で寺社巡りをあっ旋するのもな、と筆が止まっていました。
さて、今回は読者様からのご質問にお答えする記事です。神社が荒れて神様がいなくなってしまう、あるいは荒れた神社に参拝すると逆効果になる、という噂について私なりにお答えして参ります。
実は同様の質問が多いことから、質問者さまに限らず、広く読者の方のヒントになるよう意識して書きました。
誤解がないように紙幅を割き、またもや長文となってしまいましたが、お付き合いいただければ嬉しく存じます。
▼目次
- 神社から神様がいなくなる?
- 運勢を下げる逆パワースポットの特徴
- 神様不在よりも怖いこと
- 霊場だからこそ、あらゆるものが存在する
- 逆パワースポットで運勢が悪くなる仕組み
- 人為的にパワースポットを荒らせるの?
- 忘れてはいけない神様が怖い理由
- 聖地にはなぜ神様がいるのか
- 開運する万能パワースポットの共通点
- 自分に必要な神社を見つける方法
- 神様と会う前に知っておいてほしいこと
- 人間の祈りが神様に与える影響
- 霊的なアンテナは本当にある方がいいの?
- 自分に必要な神様の言葉を選ぶには
- 必要な言葉を見つける方法・実践編
- 見えない世界を開運につなげる本当のコツ
(初稿:2020年4月1日)
神社から神様がいなくなる?
たくさんの人が来るために、神社が荒れてしまう。あるいは、特殊な思想を持つ人たちの迷惑行為で、神社が荒らされる。
その結果として、神社から神様がいなくなってしまうことがあるという噂を、パワースポットめぐりの好きな方なら、聞いたことがあるかもしれません。
そのような神社には神様が居なくなっており、参拝するとかえって運が悪くなるという噂などもあるそう。寺社めぐりはしたいけれど、自分ではスピリチュアルなことの判断ができないという方には、不安な噂になっているようです。
こうした問題が実際にあるのでしょうか?
私の知っている範囲で先に申せば、ほとんどの神社はまず大丈夫です。
そして、この手の噂は事実を踏まえている部分もあるけれど、話のつながりは不正確ではないか、というのが率直な印象でした。
というのも、私としては神様がいない場所を訪れることと、悪影響を受けることはイコールではないと考えていないからです。
運勢を下げる逆パワースポットの特徴
本当に神様がいない場所に行っても平気なの?と、驚かれた方もおられるかもしれませんね。でも、少し考えてみて欲しいのですが、そもそも私たちが日常生活を送る場所のほとんどは、聖域ではありませんよね。
例えば、新宿、渋谷、池袋のような繁華街は、スピリチュアルなアンテナを持つ人の間では、苦手と認識されることの多い街です。
だからといって、こうした繁華街に勤務していたら、それだけで運勢が悪くなるかといえば、そんなことはありませんよね。こうした土地で働きながら仕事や私生活も上手く行っている人だっているでしょう。
この事実を考える時、神様の不在よりも自分にどんな影響のある土地なのかを判断する方が最終的には大事というのが私の考えなのです。
そして、これは実は逆のケースにも当てはまります。つまり、本当に神様がいる神社に参拝したとしても、そのことで参拝した人間が必ず開運するとは言えないのではないか、ということです。
神様不在よりも怖いこと
まず、荒れた神社に行くと逆効果になるという噂について考えてみます。逆効果というのは、つまり運勢が下がるという意味と思われます。
しかし、こういった話が囁かれるのは神様がいないこと自体を問題としているというよりも、「神様のなりすまし」に関する注意が根本にあるのではないでしょうか。
神様が出て行った後の神社は、いわば空き家のようなものですよね。そこに別の良くないものが居座って神様になりかわり、参拝する人間に悪影響を与える、といわれることがあるのは事実です。
神様が出て行ってしまう理由についても色々いわれますが、管理維持が困難で見離されたようになっているなど、管理の行き届かない場所についていわれることが多いようです。
つまり運勢への影響だけ考えるなら、神様が居るかどうかよりも、変なものが居ないことの方が重要ではないか?というのが私の考えなんですね。
※ただし、私も人の事をいえないんですけれど、最近、ブロガーの影響力が強くなっているために、人気のある方に否定的なコメントをされて、寺社様側の迷惑となっている事例があることも知っていただきたいと思います。
ブロガーの言葉よりも、実際に御神前へあがり、ご自身の目と心で判断するのが本当は一番です。
霊場だからこそ、あらゆるものが存在する
更に、この問題には難しい点があります。それは、神様がいる=変なものがいない場所とも限らないことです。
というのも神社の中には昔、憑き物落としを盛んにしていた歴史のあるところなどもあって、こういう場所はふつうの神社と違うなあと、私自身も訪れてみて感じたことがあるんですね。
だからこそ、神様のいる神社=パワースポット=開運と単純に考えない方がよいかもしれないのです。
もしその神社に、これから心を入れ替えようとしているモノ(見習いさん)がいて、それを神様が見張っている状況だったとします。だとすれば、その場所には神様も見習いさんも両方がいることになります。
この場合、普通にお参りする分には問題ないと思いますが、ネガティブなものに敏感な体質の方でしたら、見習いさんや更に下のよくないものに反応してしまう可能性はあります。
結果、「ここは良くない」と感じてしまう人もいるでしょう。あるいは、「見習いさん」と神様を間違えていることに気が付かず、神様が出てきたと勘違いすることもあるかもしれません。
要するにどこに行くか以上に、神様に同調できるか否かの方が大事ということですよね。
逆パワースポットで運勢が悪くなる仕組み
逆の例でいえば、渋谷や池袋のような繁華街は身体が重くなってイヤ!というスピリチュアルな方は多いですよね。
でも、渋谷や池袋に一度いっただけで運勢が下がったという話は聞きません。これは渋谷や池袋の喧騒の中では、無意識に外部の余計なものをシャットアウトしようという本能が働くからなのかもしれません。
これに対して神社仏閣に行くとき、人間は最初からそこが神様仏様の居場所であると知っています。神仏という見えないものを感じようと思うことで気持ちが外に向くと、外部にいるものに同調しやすくなるのではないでしょうか。
霊的には、同調すること=相手と自分に橋渡しをすることです。万が一、合わせるところを間違えれば、望んでいたのと違うところにつながってしまったということもあるでしょう。
ならば神様がいないからダメなのではなく、本人のアンテナが無視できないネガティブなものがいる場所には行かない方が良いというのが究極的な結論ではないでしょうか。
人為的にパワースポットを荒らせるの?
なお、特定の団体による荒らし行為については私も具体例を知らないため、詳しいことは申し上げられません。申し訳ございません。
しかしながら全国の有名な霊場であれば、宗教団体の方々も当たり前に参拝していますし、むしろそうした方が一般的に有名な宗派の僧籍などを持っていることも、珍しい話ではないことも申しておきましょう。
宗教団体に入信する方は、当然ながら普通よりも神仏への関心が強い傾向にあるのですから、これは別によくある話と思ってよく、過剰に神経質になることはないと思います。
それだけ、神社仏閣というものは本来、誰にでも開かれた場所なのです。
むしろ教団の中に霊視ができる人材のいるところなら、霊威の強い土地だからこそ出入りがありますし、教団を強くするためなのか龍道・霊道と呼ばれるようなパワースポットに事務所を置いているケースも見かけました。
本当に、パワースポットの良し悪しを一概にいうのは難しいんですね。
強いていうなら、ぱっと見は普通の神社やお寺のようでも、新興宗教の信者さん向けの施設が一般に開放されているだけという場合もあります。
そういうところは、基本的には教団にご縁をお持ちで、かつ教義を理解している人向けの場所でしょうから、興味本位での参拝は控えるべきと私は思います。
忘れてはいけない神様が怖い理由
一方で、神様がいる神社に参拝すれば運気がアップするか?といわれれば、実はこれも難しい気がしています。というのも、実際に参拝をしてみない限り、人間と神様の相性はなかなか判断できないからです。
神仏=優しい存在とも限らず、最終的には自分に味方してくれるかどうかが決め手になる、というのが私の実感です。
これは神社や神様という存在の歴史を振り返ると、分かりやすいのではないでしょうか。
神様の中には、戦で負けた武将、無念の死を遂げた貴族など、本来的には祟りをなす怖い存在もたくさん含まれていますよね。龍神さまのような自然界の神様であっても、怒りを鎮める(災害や怨念を鎮める)目的で祀られたケースもたくさんあります。
誰もが悪い神様とは限りませんが、前提として神仏にも個性がある。そういう個性の壁を越えて、味方になってもらえなければ人間側はどうしようもない訳です。
だとすれば、コミュニケーション能力があるか?気に入られる要素があるか?魂のご縁があるか?・・・などということが、自分の神様を見つけるためには大いに関係するというのが私の考えるところ。
こうしたハードルを越えない限り、本格的な守護にまで至るのは難しいのかもしれません。
とはいえ、普通にいわれるパワースポットめぐりによる開運の話はこんなに難しいレベルの話はしてないようにも思います。
もっと簡単に、神様に助けていただく方法があるのでしょうか。これについては、以下で詳しく見て参りましょう。
聖地にはなぜ神様がいるのか
色々な方がおられると分かったうえで神様のいる神社を見分けたいのであれば、先に神様とは何かを知っていないと見極めることができませんよね。
私は、ほとんどの神社は神様とつながっており、心配するようなことはないと思っています。
ただし、これらは電話の親機と子機の関係、あるいは原産地と養殖地のような関係にあると感じています。
つまり、自然に神様が降りる土地ではないけれど、人間が手入れをしてお招きしたからこそ、神様のいられるようになったところが多いということです。
もちろん、中には特別な神社もあります。そういう場所では、放っておいても神様が生まれて来るので居なくなってしまうことはない、と私は思っています。
その特徴は、大自然の中にある山であったり、海風の吹き寄せる浜であったり、かたちは違っても自然のエネルギーに溢れていること。だからこそ、私は神様の究極的な正体は、自然を生じさせる生命エネルギーそのものだと思っているんですね。
参拝する私たち人間も、もちろん命の世界の仲間です。
神様までも生みだす自然、つまり命の根源にかえって、生命エネルギーをいただくこと。そして、心身を健やかに整えることこそが開運の原点なのです。
だとすれば、本当のパワースポットとは大自然の豊かさに溢れた場所といえるのではないでしょうか。
開運する万能パワースポットの共通点
神仏からの守護を本格的にいただこうとすると、自分を受け入れてくれる神様を探さなければいけないので、これは運次第になってしまうところがあります。
神仏に対する義理を考える必要も出てくるので、一般人には大変な部分も出て来ますから、そういう時は心惹かれる神社仏閣の神主さんや僧侶さんに、王道の手続きをお願いする方がよいでしょう。
それとは別に、いわゆるパワースポットめぐりで運気アップをしたいのであれば、私のお勧めは、先に挙げたような神様の原産地を狙って参拝することです。
本当に自然エネルギーの豊かな場所に行くと、それだけで人間の身体や心の状態もポジティブになるんですね。
心が元気になれば、くよくよする気持ちが祓われて、夢や希望を抱けます。気持ちに余裕が生まれれば、本当にやるべきことの判断でもつきやすくなります。そこで身体が元気になれば、行動にうつることも容易にできるでしょう。
え、そんなに普通のことなの?と思われたでしょうか。
でも、神様のご利益というのは、ギャンブルや劇薬のように一瞬で何かをひっくり返すようなものではない、というのが私のたどり着いた結論なんです。
神様という補助輪を得て、その間だけ走れるようになったとして、補助輪が無くなった途端に進めなくなってしまうとしたら、どうでしょう。それでは本当に人間を守護したことにならないと、神様の立場から考えれば分かるのではないでしょうか。
夢を描けること、努力ができること、その結果として望む人生を歩めること。
つまり、人間を自立させ、王道を歩めるように育てた結果として、本人自身に希望を叶えさせることこそ、神様は大事にしているのではないか、と私は思うのです。
自分に必要な神社を見つける方法
結論をいえば、開運を願って訪れるべきパワースポットとは、神様の原産地になるような自然豊かな場所ということになります。
もちろん街中の神社がダメという訳ではありませんが、パワーの総量や万能さを考えると普通の人にも探しやすいのではないかと思います。
こうした場所の場合、神様が出て来ないことはあっても、居なくなることはありません。神様自身の本拠地なのだから当然かもしれませんが、確実に神様に会いたいならば一番の狙いめです。
もし、こういった場所から神様が居なくなるとすれば、それは土地の自然が壊れるなど、自然が大きく損なわれるような大変化のあった時だけでしょう。
私自身についていえば、パワースポットを見つける基準は大きく2つあります。まず、神様がお見えになったかな?という経験があったか。
その他にも、
- 身体や心のコンディションがリラックスする
- 気持ちが前向きになる
- 肉体的に疲労感が少ない
- 願掛けしようという気持ちが消える(=焦りが消える)
- 帰りたくないと感じる
という視点からも判断しています。
遠方への旅行として訪ねる場合、おそらく一番分かりやすいのは現地宿泊してみることで、翌朝の寝起きが良い場所は相性が良いはずです。寺社の敷地内でなくても良いので、なるべく近いところで土地のエネルギーを満喫してみましょう。
実は、睡眠中は霊的に無防備になりやすいといわれます。だからこそ、自分にとって良くないものが居ないかを判断しやすいのですね。
逆に、避けるべき場所のヒントをあげれば、
- 何となく居心地が悪くて緊張してしまう
- 極端に道に迷う
- 空が暗く(低く)感じる
- 足が疲れる
- 首や肩が重くなる
以上のような印象が残るなら、神社仏閣に限らずですが、そこは自分と相性が良くないのかもしれません。
個人的には、魔が強い場所では方向感覚が狂う経験を何度かしており、それが神社(境内は問題なし)と隣合わせの場所だったということもありました。神隠し伝承のある土地などは、聖と魔が同居しているところものかもしれません。
つまり神社仏閣を訪れるとしても、その土地が丸ごと清浄とも限らないのです。
だからこそ自分の心身をレーダーにして、合わない場所を徹底的に避ける方が、結局は効率が良いのではないか?ということなんですね。
神様と会う前に知っておいてほしいこと
ところで、神様にお参りしてみたいという方に、先に考えていただけたらなあという事があります。それは、神様に対する気持ちの持ち方です。
今回のご質問に限らず、世間の傾向として感じることなので、読者の皆様も自分の悪いところをいわれているとは思わないでくださいね。
ちょっと言いにくいことではありますが、最近、神様を自分の都合に役立てようとする人が増えているなあ、と思ったことはありませんか。
神様というのは、いわば繁栄のエネルギーそのものです。
関わりを持つことで栄えるのは当然でありますが、人間の都合のためだけに生まれて来る訳ではありません。正直にいえば私にとってはこの感覚のギャップが、一番戸惑ったことでした。
そして、願い事を叶えてくれたり運勢を良くしてくれたりする存在でなければ、神様と付き合いたい人はほとんどいないのが現実と何度も思い知りました。
意外かもしれませんが、神様は人間とまったく感覚が違います。
人間の個人的な開運や願い事について相手にしてくれるのは、神様ご自身というよりも、下にいる見習いさんのようなものであるのが普通です。
そして霊感がある人間のほとんどは、神様と下にいるもののを混同したまま、全部を神様のメッセージとして発信しているのが現実ではないでしょうか。
私の感じるとおりに言えば、本当にパワーのある大きい神様は、個々人の些末な都合などほぼ分からないでしょうし、分かったとしても興味ないだろうな、という印象です。
もし願い事が叶ったとしても、その結果、人間が依存するように誘導し、自立できなくさせる悪いものもいるので、そこは区別が必要です。
以上を踏まえると、本当に開運したいのであれば、神様に何かをしてもらおうと期待しすぎると、かえって遠回りになるかもしれません。
神様から頂けるエネルギーを使って、自分が何をしたいか?何ができるのか?そんな視点を持つことが、本当に開運するための最初の一歩になるのではないでしょうか。
人間の祈りが神様に与える影響
私がちょっと言いにくいことを言ったのは、理由があります。それは参拝する人間の祈りも、神様に影響を与えるのではないか、という経験をしているからです。
私が思うのは、神様と人間がつながるためには、祈りという想念のコードが必要なのではないかということ。
何というか、祈りのパワーが満ちているところだからこそ、神様が降りてきやすい(人間にサインを出しやすい)ような印象があるのです。つまり人間が祈りのパワーを捧げる→神様がパワーを得る→現実世界に出てこれる、という流れがあるように見える。
その意味では、よい祈りを捧げることが、霊場を清らかに保つためにも意外に重要なのかなという気がしています。
神社に行ったら、お願い事をするんじゃなく感謝を伝える方がいいんだよ、と誰かに聞いたことはありませんか。道徳的な意味もさることながら、人間と神様が共存するための先人の知恵だったのではないでしょうか。
以前の記事で、あまり霊感が鋭くない人におすすめの神社として、熊野本宮大社を挙げたことがあります。これは、紀伊山地という強力で古い霊場ならば、祈りのコードが強いために、神様からもサインを出しやすいのではないか、というのも理由なんですね。
それから特に自然の神様は土地を荒らされるのが好きではないことも、知っておいてよいかもしれません。私自身は龍神の霊場が好きですが、龍は人間の都合にはあまり興味がなく、むしろ自分の住処である自然が守られることを喜びます。
自然を尊重する(神様を保護する)のなら、本当は禁足地にしてしまうのが一番よいのですが、パワースポットに踏み入ることは自然を荒らすことと紙一重な部分もありますよね。
だから、神様の原産地になるような一流のパワースポットに行きたいというのは人間側の都合ではないか。
そんな気持ちを忘れず、自然への畏敬を忘れないようにすることも、神様と仲良くなるためには必要だと思います。
霊的なアンテナは本当にある方がいいの?
ここからはおまけなので、興味のある方のみお付き合いください。今回の記事を正しく皆様に理解していただけるよう、いくつか補足を致します。
実は今回のご質問にかぎらず、スピリチュアルな噂の真偽に関する疑問というのは、色々な方から寄せられるテーマでした。
すべての内容をチェックすることは難しいため、誰にでもできる自分に役立つ情報の見分け方を紹介することで、お悩み解決のヒントとしたいと思いました。
スピリチュアルな世界のことも、色々な意見をいう人がいると思います。その中で、これも私の考えではありますが、信頼できそうな情報を見分けたいとき、ひとつ見るべきポイントは、その話を始めた人の人柄、特に「気の強さ」です。
私が思うのは、霊的に敏感な人の中には、何でも全部を受診する超過敏型と、そうではないタイプに分けられる気がしています。霊的アンテナがあっても問題にならない後者のタイプは、本質的には気が強い(=余計なものを追い払える強さがある)のではないか、と感じるのです。
一方で超過敏型の人は、よくいえば謙虚。一方で、自己肯定感の不足に悩みがちであったり、誰かや何かの力で人生の課題を解決したい気持ちが強い傾向にあるとの印象があります。
人と合わせるのが上手で、意識しなくても周囲に同調してしまう共鳴力があって、時にはそれが見えないもの対しても発揮される。すると、霊的なものを拾ってしまう→霊感体質になる、とつながっているんですね。
自分に必要な神様の言葉を選ぶには
一般に、超過敏タイプの方は、具体的な霊的体験が豊富です。受け取り方も、映像や言葉など、分かりやすい形であることが多い。
見えない人が創造する霊感の強い人は、だいたいこの超過敏このタイプでしょう。
一方、超過敏型のアンテナは優れている分、大きい神様とは違うものからのメッセージも受けとめやすいのかな?と、私には思える時もあります。
もし、こういうタイプの人の話を聞くならば、詳しく教えていただける代わりに、聞き手は自分に必要な部分を見極めることもした方が良いのではないかと思います。
霊感の敏感さというのは、健康に例えていえばアレルギー反応のようなものでしょう。
食べ物でも、アレルギーのある人はダメだけれど、アレルギーのない人ならば気にしなくてよいことがありますよね。不必要なところまでダメとしていたら、気疲れしてしまうかもしれません。
超過敏型の人は、アンテナが優れている故に、苦手なものも多くなりがちなようで、いけない場所、会えない人などが、普通の人よりも多い傾向にあります。
だからこそ霊感のない人は、敏感体質の人の体験談をすべて自分に当てはめる必要はないのです。
私も、いわゆる零感の人よりは分かる方だと思いますが、プロではありませんし、神様の相性も龍神に偏っている欠点があります。
だからといって、例え相手が龍神系であっても、すべてを正確に受け取れていることは絶対にありません。お稲荷さんが好きな人に、神様のことを質問したら、私とまた違う意見を述べられることでしょう。
自分に霊感がないという方に知っておいていただきたいのは、本人が嘘をつくつもりがなくても、神様とそうでないものを混同してしまうケースもある、ということ。
こういう場合は、本人も聞き手も悪くすれば道理を外れ、遠回りをすることにもなりかねません。
だからこそ運をよくしたいなら、誰かの言った神様の話に従うよりも、道理を意識する方が本当はずっと大事なんです。道理を外れない限り、神様仏様はあなたを守護してくれるからです。
必要な言葉を見つける方法・実践編
今は色々な書籍やブログがあるので、情報の選択には迷ってしまうのは当然ですよね。
神様とお近づきになってみたいけれど誰の言葉に耳を傾けたら良いのか分からない、という方にお勧めしたいのは、自分の境遇と近い語り手を探すこと。
自分の体質や性格を振り返って見て、似たタイプの人が発信するアドバイスを、まずはチェックすることから始めてはいかがでしょうか。
書籍やネットなど、顔の見えない状況で話し手を見極めるには、相手の価値観に注目してみるのがお勧めです。何を大切にしているのか、他人にどんな感情を抱きやすいのか、好きな話題は何か、など。
ふつうに会って話していてさえ、相手の言っていることをそのまま聞いているだけでは、相手の素性は分からないものです。
欠点をいくらでも隠せるブログや書籍では尚更ですから、相手の頭の中、心の中に占めているものが何かに注意してください。
志か、欲か。不満か、感謝か。神様か、自分か・・・そんな視点から眺めると、本人の語るセルフイメージとは違う、相手の姿が見えて来るはずです。
見えない世界を開運につなげる本当のコツ
人間は結局、自分の目指すところ以上のものを、人に示すことは出来ないと私は思っています。自分の理解の及ばないものは、通訳もできない以上、神様の心とて言葉にすることは難しいのです。
そして、役に立ちそうな話を探している方に、忘れないで欲しいことがあります。
それは相手の話に耳を傾け、その言葉に従っていれば、自分がだんだん相手に似て来る、ということです。親と子、師匠と弟子のように、考え方を受け継ぐことは人間性を分かち合うことでもあるのです。
自分がどんな人間になるのか選ぶことは、開運を意識するうえでとても大切なことですよね。
しかも、もし「私、○○さんが好きなの」とあなたが言ったら、あなたは○○さんの考え方や人間性などを尊敬しているのかな?と、それを聞いた人は考えるでしょう。
つまり、あなたが誰を先生にするかで、あなた自身の社会運が左右されるかもしれないのです。
実際、まともに修行している霊能者や勘の鋭い経営者などは、相手の人間性をすぐに見抜きますよね。
あまりにも突拍子もない人の名前を出すと、それだけであなたまで相手にしてもらえなくなる危険さえあることは、知っておいて良いと思います。
だからこそ、もし誰の話を聞くべきか悩んでいるのなら、自分が本当に尊敬できる人にしてほしいというのが私の気持ちです。
(ちなみに私もただの怪しい人なので、このブログを読んでいることは、よそでは話題にしないでよいかと思います。)
今は色んな人がいますから、ぜひ、「あなた、○○さん(=情報の発信者)に似ているね」と言われたて嬉しい!と感じるような人を見つけてください。そして、是非とも開運を実現してくださいね。
以上、これまでの神様の話の総集編のようになってしまい、長文になってしまいました。お許しくださいませ。
どんな場所であっても、神社仏閣への参拝に対して、過剰に神経質にならなくても大丈夫、ということ。一番大事なことは、自分が誰になってどうしたいか、だということ。
神社仏閣めぐりの好きな皆様に、少しでも私の気持ちが伝わったなら嬉しいです。
最後に、ご質問をくださったMさま、回答まで大変お待たせしてしまったことお詫び申し上げます。記事リクエストありがとうございました。
本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!
初めまして。
父親と姉が住む地域ある一見荒れて見える神社に
近くを通る時にはお参りして2人の事をお願いしていたのですが、姉がそこの神社は怖くて行けないと言っていた事から
私自身も神社の荒廃した感じが気になってしまい、荒れた神社で検索したところ、こちらの記事に出会えてとても参考になりました。ありがとうございました。
ありがとう(ございます・笑)(*^。^*)v
初めまして。
とても心と頭に栄養になるお話しでした。
ありがとうございました
これからちょこちょこ覗かせて心身の糧にさせていただきたいと思います。
はじめまして。記事とても参考になりました。
私も子どもの頃、神社仏閣がとても苦手で体調が悪くなったりしていたのですが、年齢を重ねるにつれて行っていい神社と合わない神社があるらしいとわかってきました。
日本人が祀る神とはなんぞや?と興味を持って色々と調べていましたが、こちらの記事の通りだと思います。