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稲荷神社とお狐さんの不思議な実話

稲荷神社とお狐さんの不思議な実話

本日もお越しくださった皆様、ありがとうございます。

本日は、稲荷神社あるいは神社のお狐さんにまつわる、私の不思議な経験をいくつかお話ししたく存じます。皆様にとってお狐さんの性格を知るきっかけとなれば幸いですよ。よろしくお付き合いくださいませ。

 

▼目次


(初稿:2017年6月20日、最終更新:2019年5月17日)

 

お稲荷さんの不思議な話①

お稲荷さんにまつわる不思議な体験のひとつ目は、最近、霊能者の実話記録をした書籍でも人気を呼んでいる、京都の伏見稲荷大社のエピソードです。

ご存じのように、こちらは稲荷神社の総本社として知られておりますね。総本社というだけあって、実に多くのお稲荷様が集まっておられるせいでしょうか。こちらで不思議体験をする方は珍しくないようです。

伏見稲荷大社にて、私が不思議な経験を致しましたのは、こちらで毎年7月に行われている本宮祭の期間中のことでした。稲荷神社とのコミュニケーションの仕方が分からなかった私は、まずご祭神に礼を尽くそうと思いまして、本宮祭の時期だからこそ、うだる夏の京都への参拝を決めました。

伏見稲荷大社の後ろには、千本鳥居で知られる稲荷山があり、崇敬者の方達が神様への巡礼を行う、一種の聖地となっています。神様へのご挨拶であれば、稲荷山への登拝は欠かせないだろうということで、私も稲荷山へと向かいました。

お参りは順調に進み、本宮祭の巡礼に訪れている修験者の列、稲荷大社講の白いはっぴの一団などとすれ違い、一ノ峯・末広大神のご社殿までたどり着きました。

お参りを済ませて、参道の先の階段を降りようとしたところ、今しがた離れたお社の方角から、神主さんが祝詞を奏上する声が聞こえてきました。ちょうど、来るときに拝見した御前谷のご祈祷の調子にそっくりでしたので、末広大神へのご祈祷が始まったのかもしれないと思い、せっかくの機会だからと道を引き返すことにしました。

木々の枝で覆われた階段を抜けて、風通しの良い一ノ峯の頂上へと再び出た途端、先ほどまで聞こえていた祝詞をあげる男性の声は、ぱたりと聞こえなくなってしまいました。

末広大神のお社の前まで行ってみても、神主さんの姿はおろか、参列者の姿も何もないのです。お社を覗いても、周辺のお塚を見渡しても、ご祈祷をしていた様子などは微塵もありませんでした。

これは、お稲荷さんはイタズラをすると、私が実感した貴重な経験となりました。

 

お稲荷さんの不思議な話②

これは、比較人気のある都内の某稲荷神社でのこと。当時、務めていた会社から駅までの道を行くとき、行き方によってはこの神社の塀沿いを歩くことがありました。

初夏の某日、いつものようにこの神社の横を通り過ぎますと、塀の向こうからガヤガヤと人のざわめく声がする。さらに塀の先に、赤いテントの天辺が顔を出しているのが見えました。

今日は何かのお祭りの日だったかな?と思いました。当時、お稲荷さんとの上手な関わり方がよく分からなかった私は、この神社を素通りしていました。

でも、この時はお祭りに興味をひかれて、様子を見ようと神社の表の鳥居へと向かったのです。鳥居に近づき、さあ入るぞと中をのぞいて、思わずあっと声をあげそうになりました。というのも、鳥居をくぐった瞬に広がっていたのは、無機質なコンクリートの境内と誰もいないお社の姿だけだったからです。

お祭りの気配はおろか、神社は工事中で、私の他にそこに居たのはヘルメットを被った作業員の方だけでした。不思議なことに、鳥居をくぐるのと同時に、ざわめいていた人の気配も、きれいさっぱり消えていました。

ああ、やられた。そう思ったのは言うまでもありません。平成の世で、キツネにつままれるという体験をしてしまったのだと、今でも思っています。

とはいえ、職場の近くでよく通りがかっていたのにも関わらず、長いこと無視していたのは悪かったかなと思い直しましたので、神社にはきちんとお参り致しましたよ。

このように、お稲荷さんというのは時として、積極的に人間の興味を引こうとする性質があるのかもしれませんね。

お稲荷さんの不思議な話③

さて、最期は少し怖い話になりますので、ごく簡単に事のあらましだけ申しましょう。お稲荷さんに関する3つ目の不思議な話は、他の2つとは異なり、稲荷神社で起こったできごとではありません。

それは、もともと稲荷神社を祀っていた土地が、他の有力な神社に取って代わられ、更にはトレッキングコースとして開かれ、ついに祭祀の場ではなくなった土地でした。付近に稲荷神社は残っているものの、土地としては放置されているに等しい環境でしたから、そうした条件もこの地に残る自然霊の性格に、影響していたのかもしれません。

その時は、ひとつ目の目的地であった神社を参拝した後、山の向こうにあるお寺にも参拝をしたかったことから、このトレッキングコースを通って山を越えようと計画していました。というのは、こちらは山といっても丘と変わらぬほど規模の小さいもので、トレッキングコースを歩いても2時間とかからずに目的地へ行けると、事前の調査で確認していたからです。

いざトレッキングコースへ入ろうとすると、思ったよりも木々が深く茂り、暗く淀んだ雰囲気が感じられました。道の脇をみれば、墓地になっていましたので、それも無理からぬことだったのかもしれません。

墓地を通過していよいよ山へ入りますと、どうしたことか、急に大地がぐるんと回るような感覚に襲われました。体内のコンパスが狂ったように、方角がわからなくなるのです。左右はおろか、気を抜けば今しがた歩いて来た道がどれであるかも分からなくなるような、実に気持ちの悪い感覚でした。

そして、草木の生い茂った晴天の割にどんよりとした野原を見渡すと、蛍のような金色の光の玉が、すうっと飛び交っている。実体の薄い光(=眩しくない)でしたから、これは何かの精霊、場所から考えれば狐霊だろうと思いました。

神社が無くなり、完全な山道となった場所は狐霊にとって居心地が良い場所だったのでしょう。久しぶりに人間が入って来たので、皆で様子を見張っているようでした。

こちらとしては、彼らの邪魔をするつもりは毛頭ありません。神社に入っていない狐の中には、色々なものが居ることは周知のとおりですから、地図に集中することにして、そちらは無視して、どうにか山を抜けました。

それでも、本来、降りたい思っていたルートからは少しずれて、目指していたお寺から少し離れた脇道へと出てしまった。これなどは、典型的な狐につままれる経験だったのではないかと思います。

 

稲荷神社が怖い訳ではないけれど

最後に、誤解なきよう申し上げますと、お稲荷さん=怖い訳ではありません。時として稲荷神社が怖いとされる理由は、神様であるお稲荷さんと、野狐(やこ)、はぐれ狐などと呼ばれる狐霊とが混同されているためと思われます。

これらは3つ目のエピソードで紹介したような、稲荷神社のご眷属ではない、いわば野生のお狐さんたちを指します。原則として、暗い感じや淀んだ雰囲気の強くない場所でしたら、稲荷神社へのお参りを怖がることはないでしょう。

お稲荷さんとのお付き合いに手間取る点があるとすれば、神様とは異なるグループの存在の他に、お狐さん全体に見られる好奇心の強さが関係しているのではないでしょうか。彼らには人間と異なる感性があり、お稲荷さんなりに縄張りを守ったり、人間に興味を持ったりすることがあるようです。

お稲荷さんの好奇心を理解して、人間の方はどう立ち振る舞うべきか考えることが、上手なお付き合いをするひとつのコツではないか。私としては、そんな気持ちがしておりますよ。

※本記事の画像はイメージで、エピソードとは関係ありません。

 

お稲荷さんの不思議な話をもっと知りたい方へ

最後に、お稲荷さんの不思議な話をもっと知りたい方のため、こちらに稲荷神社やご眷属、野狐にまつわる実話を集めた書籍を紹介致します。

1. 冒頭で紹介した、伏見稲荷大社にゆかりの霊能者さんにまつわる不思議なエピソードを紹介した一冊。ご信徒さんが筆を執っておられるため、類書にはない詳細が語られています。

 

2. 上記の書籍に取り上げられている稲荷信仰の霊能者さんが、唯一ご自身で書き残した作品がこちら。(※増刷できないのか希少本となってしまい、値段が高騰しているのでご注意を。)

 

3. 伏見稲荷大社の宮司様が監修した本。執筆者の中に修行経験のある方がおられるようで、神霊の視点から狐霊を語る記事もありました。

 

4. 実際に会った怪異現象のコレクションとして、ロングセラーになっている一冊がこちら。猟師さんを端はじめ、山で暮らす人たちの経験した不思議な実話が集められており、狐に化かされた話も。

 

以上、お稲荷さんと狐霊に関する、私の不思議な実体験を三本まとめて紹介致しました。本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!

カテゴリー: 心霊・怪談 神社
タグ: 稲荷神社