知って楽しい!日本神話とお正月の縁起
皆様、こんばんは。最近の記事でも申しましたが、このところ私は大嘗祭と日本神話について調べておりました。その中で面白いなと思ったのが、お正月=冬至である、とする説です。
そこで本日は、お正月のと日本神話の関係や、お勧めの年末年始の過ごし方などを紹介したく存じます。ゆく年くる年を、楽しく迎えたい皆様の参考となれば嬉しく存じますよ。
▼目次
(初稿2019年12月26日)
古代人のスーパーフード
ある学者さんによれば、お正月にお餅を食べる習慣は、もともと私たちが新年を生きられるよう、神様から命をいただく行為だったということです。
最近は四角い切り餅もよく見かけますが、昔はお餅といえば、手でこねた丸餅。お年玉として与えられるのはお金ではなくて、つきたての丸餅だったそうです。
お餅が丸い理由は定かではありませんが、昔から調和を象徴するなどといわれ、丸型は縁起の良い場面で好まれました。360度どちらにも突き出している円型は、完全なる陽を象徴するかたちでもありますから、邪気祓いになるとも考えられたのかもしれません。
最近の大晦日では、除夜の鐘を待って寝ないで過ごすのが定番となっていますが、鐘はお寺のものなので、仏教が日本に来た後の習慣です。それよりも前の伝統では、夜更かしは神様を迎えるための習慣だったといわれます。
この頃の神様といえば、それはご先祖さまの魂のことでした。戻ってくる命を迎え入れて、生きている人間も、次の一年を元気に過ごせるパワーを授かろう、というのがお正月だったんですね。
なんといっても昔は今のように、一年中どんな食べ物でも手に入ったわけではありません。お餅も、秋にお米の収穫が終わった後でなければ食べられない、貴重なものでした。
神様の降りて来た田んぼで育った米、その米からつくるお餅。だから、お餅は命を凝縮した古代人のスーパーフードだったのでしょう。
お正月はどうして始まったのか
各家庭で田んぼを造り、お米の収穫を終えたら、その年の仕事をねぎらう収穫祭をする。これが古代人にとっては年の節目にもなっていたわけです。年の節目=大晦日・元旦とすると、昔のお正月は農業の節目になる時期、つまり冬の始まる冬至だったのでは?という説が成り立ちますよね。
更には、お米を神様のお供えにして、自分たちもいただく。夜通し起きて、神様の訪れを待つ。こうした古代のお正月の習慣を見ると、大嘗祭の儀式とも似ている部分があると分かります。
大嘗祭については最近の記事で、日本神話を再現したのではないか、といわれていることを紹介致しました。なぜなら大嘗祭は、天皇陛下が御自身の手で、皇室の先祖という天照大神にお供え物を奉納することが、儀式のメインになっているからです。
大嘗祭とお正月が似ているとすれば、一般家庭で行うお正月にも、日本神話の影響を受けた習慣があるのかもしれません。実際、大嘗祭で天皇陛下が行うような神様へのお供えの儀式は、昔の日本では、各地の族長がそれぞれ行っていたらしいとの話もあります。
もし、お住まいの氏神様が昔からの伝統を守っているなら、お正月には何があるのか、氏子さんでも年長の方から教えてもらうと良いでしょう。大晦日から元旦にかけて、昔ながらのお正月の様子をうかがい知る機会になるかもしれません。
具体的には、神社総代などと呼ばれるリーダーを中心に、夜通し神社にこもって神事をする伝統があるように、大昔は酋長が村全体のための神事をすることになっていたらしいんですね。
こうした役割のあるリーダーがいた一族といえば、諏訪の大祝(おおほおり)などが知られていますよね。ただし実際のところ、諏訪以外の地域でも長老が先祖の墓守をしていた、とわれているようです。
太陽の死ぬ日だった冬至
冬至が本来のお正月だったのではないか?といわれる理由で、もうひとつ、興味深い話があります。何かというと、天照大神の岩戸開きのエピソードは、冬至を物語にしたものとする説があるのです。
冬至は、一年でも夜が一番長くなる日。つまり、太陽のパワーが一番弱くなる日です。
天照大神は太陽の神様ですから、日が短くなる=太陽が死ぬ、という風に昔の人は考えたのかもしれません。岩戸にこもるとは、昔なら死者の埋葬の方法でもありました。
だからこそ太陽が死ぬ冬至の日を、神様を主役にした神話にして語ったところ、岩戸神話が生まれたとも考えられるんですね。
古事記が描くお正月
「太陽が死ぬ」というと何か不吉な感じがしますが、実際のところ縁起の悪い意味ではなかったらしく、太陽が冬眠する時期だと考えられていたそうです。
冬という言葉には、ふゆ=増ゆの意味があるように、命の種が見えないところで盛り上がっていくこと。いわば、冬眠して英気を養う期間とされたんですね。冬ごもりして元気を秘めた命は、春になると芽吹いて地上に姿を現す、というのです。
現代人にとっては、冬の日が短いことも、気温が下がることも当たり前になってしまいました。ですが、昔の農家さんからすると、急に作物が育たなくなる四季の変化は、何よりも深い謎だったのかもしれません。
天照大神が再び岩戸から出て来たという神話は、冬至を区切りに、太陽に元気が戻る事実と重なりますよね。日が長くなって温かくなると、全部の命がすくすく育つから、太陽=命の親と考えられたのでしょう。
お正月と神様の意外な真実
命の成長と日の長さの関係を考えると、死に向かう季節から、生へ向かう季節に転じるポイントが冬至だ、と言い換えることもできます。すると、冬至は陰(死)から陽(生)へ切り替わる日だともいえますよね。
だから、冬至のことを一陽来復(いちようらいふく)の日と言ったりしますが、これなどは中国の易経から来た言葉だそうです。
日本人は、海外の色々な思想を取り入れ、自分たち流にアレンジして行くのが上手だったといわれます。きっと、中国風の暦や習慣を受け入れながらも、自分たち流の神迎え(先祖のお迎え)を止めることもなく、今のようなお正月にたどり着いたのでしょう。
お正月がもともと日本式の収穫祭だったとすれば、それを中国の暦に基づいてアレンジしたのが、現代のお正月といえそうです。
つまり、岩戸開きの神話の意味を知ると、はやく元気な太陽に戻って来てほしい、ご先祖さまに戻って来て欲しい。こういう2つの祈りが、日本のお正月に隠されているのではないか、と分かるのです。
お正月までのプチ開運法
さて、ここまで少し難しい話が続きました。お正月の起源や意味は分かったけれど、それが現代人に何か関係あるの?と感じた方もおられるでしょうか。
実は、お正月の成り立ちには、厄払いのコツがぎゅっと詰まっているんです。厄を祓って不運や災難から離れることは、すなわち開運の基本にもなります。
この時期、私のおすすめする過ごし方は、食生活の見直しをすること。クリスマスに欧米的なお食事を楽しんだあとは、お米を主食とする和風の食習慣に戻すよう意識してみてはいかがでしょうか。
春、新たに種籾から稲穂が芽を出すまで、一粒一粒には神様から授かった元気が込められているとすれば、お米は最高の開運アイテムかもしれません。
それから、お餅の出回る時期になると一緒に見かける、小豆もおすすめの開運フードです。火を通す前の小豆の色は赤い色ですが、赤色は魔除けの力を持つ陽の色と考えられていたからです。
今では陰陽というと、白黒で描かれることも普通になっていますが、実は白色を陰と見なしていた時代もあるんですね。だから、日本ではおめでたい席の彩は紅白が基本で、紅(陽)と白(陰)で調和を願うのです。お米やお餅の白に、小豆の赤を合わせると、ますます縁起がよくなると考えられるわけです。
他にも、食べ物の陰陽を整える例として、伊勢神宮の神事や大嘗祭では、お供え物として黒酒(くろき:炭にした薬草で色を付けた酒)と白酒(しろき:濁酒のこと)と呼ばれる色違いの御神酒を捧げる習慣があるなど、日本の神様による開運には、食物が欠かせないことが分かりますよね。
白酒は今でも飲み物として楽しみますが、黒酒については調味料としても密かに注目されているそうですよ。
以上、冬至~お正月に関わる神社と神話の話でした。
本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!