初午の日とお稲荷さんの話
皆様、今更ですが明けましておめでとうございます。
帰省から戻る電車で風邪をもらって寝込み、今年はごく遅いスタートになってしまいました。年末年始にお問い合わせをくださった皆様、お返事が遅くなってしまい申し訳ございません。
さて、今日は早速、読者様からのご質問にお答えを致します。テーマは初午。
初午祭とは何か?誰でも参加できるものなのか?など、初午に関する少し詳しい説明をさしあげます。特に稲荷神社とご縁のある皆様にご覧いただきたい内容ですよ。
よろしくお付き合いくださいませ。
▼目次
(初稿:2020年1月12日)
初午の日って何だろう?
初午の日とは、2月の最初にやって来る、暦の午の日をお祝いする行事。本来、農耕に関わるお祭りだったといわれています。
2020年は、2月9日(日)が初午の日にあたりますね。
昔はほとんどの人が農家さんでしたので、作物のでき具合は何よりも大事な問題だったわけです。
そこで春先、農業を始める前に、新しい一年が豊作に恵まれるよう、神様にお願いする習わしがあったといい、これが初午のお祭りの原点になった、といわれているそうですよ。
初午の起源は?
初午にお祭りを始めた理由は、はっきりと分かりませんが、お稲荷さんの総本社・伏見稲荷大社の伝説と関連がある、との話があります。
伝説によれば、伏見稲荷大社を創建した秦氏という一族のうち、秦伊呂倶という人の時代に、農作物の出来が悪くて困ってしまったそうです。そこで朝廷は秦伊呂倶に、稲荷山でお稲荷さんをお祀りするようにさせたところ、稲荷山の神様のおかげで豊作に転じたといわれます。
おそらく、今の創建縁起として伝わっている物語のうち、稲荷山で神社を営むようになった理由とされている時期のエピソードなのでしょう。
この時、秦氏が神様の依り代として見立てたのが稲荷山の杉の枝だったといわれ、今でも伏見稲荷大社では杉の木は神様と同じ存在として大切にされているのですね。
伏見稲荷大社の縁起物に、しるしの杉というものがありますが、これなどは初午の原点を今に伝えるアイテムなのかもしれません。
初午と暦の関係
一方、暦における午の日というのは、陽の気が始まる、ありがたい日でもありました。
陽の気が始まるということは、その日を境に生命の成長が始まる、ということ。干支では、午の日は火属性(陽)になりますが、その前日の巳の日は水属性(陰)になり、水火(=陰陽)が転じる節目の日と考えられたわけです。
こうした暦による考え方が先にあったのかは分かりませんが、伏見稲荷大社の神様が、初めて地上に降臨した和銅4年2月11日(または9日)も、午の日であったと伝えられているそうです。
ここでいう神様とは、山から下りて来た「田んぼの神様」。
初午の日というのは、冬ごもりから起き出して、里へ降りてくる神様を、人間が出迎える立春の行事でもあったのでしょう。
※注意※
ただし、現在は新暦2月の初午の日を選ぶことが普通になっているので、立春の雰囲気は半減しているといわれます。本当は、現在の3月にあたる時期、蛇や獣が蠢く季節の訪れを体現する神事だったようです。
初午祭をやっている場所は?
なお、ここでは伝説の残っている伏見稲荷大社のことを中心に話していますが、初午祭をお祝いするのは、伏見稲荷大社だけではありません。
初午祭は、愛知県に総本山を置く豊川稲荷さまなど、神社仏閣の区別なく、稲荷を祀る風習として全国的に根付いています。これはきっと、午の日を祝う習慣が、誰か偉い人にいわれて広まったものではなくて、農民の普通の暮らしの中にあった行事だからではないでしょうか。
私のイメージでは、初午というのは神社を中心とした「村の寄り合い」の原点のように見えます。だから、○○神社の崇敬者・△△寺の信徒、というような特別な理由がなくても、本来は地域の行事として誰がやってもよい物ではないかと思うのです。
その意味では、自分の住んでいる近くに、初午祭をやる神社仏閣があるなら、地域の住人のひとりとして神迎えをすればよいのではないか、と思います。
初午祭に参加資格はあるの?
一方、地域に初午祭をやっているところが見当たらない場合はどうでしょうか。
日本には色々な神様がおられますが、実は多くの神様が「流れ者」であることが、ここでは見逃せないポイントであると思います。
高天原を追い出された素戔嗚命が、地上へ降りてさすらったように、昔から神様とは漂流する存在でもありました。だからなのか、もともと日本の神社はオープンな場所で、塀や門は必要ありませんでした。
神と人を隔てるものは注連縄だけで十分だったのです。それは、神様に専用の席を確保するためで、関係ない人間は入ってくるな、という意味はありませんでした。
そうはいっても、今の神社には例えば根津神社のように塀も山門もあるところもありますけれど、これは仏教寺院の影響を受けて、神社側の建築様式が変わったからなのです。
そう考えると、神社は地元民の寄り合いを目的とした施設であるにもかかわらず、ゲストを迎え入れるための場所である、ともいえそうです。
以上を考えると、私とし~ブログ本館を更新しました~『初午の日とお稲荷さんの話』2020年1月12日ては初午をはじめ、日本の神様の行事というのは、誰がどの神社で参加しても良いものだと思います。
新宗教系の教会など、特別な管理体制をとっているところでもなければ、ゲストを選ぶ理由がないからです。
だから、もし自分の住んでいる地域でお祭を見つけられないという方は、崇敬する神社仏閣の初午祭に参加することも、大いにありだと思います。
2020年(令和2年)の初午日は、2月9日(日)と週末にあたるので、お仕事のある方でも参加しやすい日取りになりそうです。気になる寺社の行事日程を、確認してみてはいかがでしょうか。
おまけ【初午といなり寿司】
余談ですが、お稲荷さんへのお供え物の定番である「いなり寿司」は、実は初午でいただく縁起フードです。
お稲荷さんの大好きな食べ物である、お揚げを使ったお寿司をお供えして、神様に喜んでいただこうとしたともいわれますが、これは稲荷神社=油揚げのイメージが定着してから広まった考え方との見方もあるようです。
というのも、油で揚げる調理法は、それ自体が決して古くありません。和銅年間に始まったとされる稲荷信仰の歴史から考えると、いなり寿司というのはごく新しい食べ物と考えられるからで、お揚げが存在しない時代は、普通にお米や餅をお供えにしていたようです。
お稲荷さん=お揚げのイメージは、油揚げという食べ物が考案された後、見た目からの連想で決まったという説の方が、意外に正しいのかもしれませんね。油揚げの黄金色が、狐の毛皮・稲穂の実りを想像させたのでしょう。
実際、関東の四角型のいなり寿司は、米を詰め込んだ俵をイメージしたものともいわれています。関西ではお揚げを斜めに開き、三角型のいなり寿司をつくりますが、これなども狐の耳を模しているのだそうですよ。京都駅や伏見稲荷大社の周辺では、通年この三角形のお稲荷さんを見かけますね。
以上、質問への回答をかね、初午について紹介させていただきました。
それにしても、日に日に電車が苦手になっている気がするのですが、どうしたものでしょうか。この年になって38度以上の熱が4日以上続いたのは、ごく久しぶりのことで、SNS等も放置になってしまいましたがお許しください。順次、お返事など差し上げて参ります。
本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!
風邪大変でしたねー
あいにくのお正月になってしまいましたねー
年末にモッフーさん指導の元に、あんこを作ったのですが虎やを超える出来映えでした。
モッフーさんは美味しいあんこって何?って今迷走状態に入っていて、なかなかやればできるじゃないかと上から目線でしたねー
唐菓子にあんこが入ったお菓子があり、もともとあんこを神撰で頂いていたようで、お稲荷さんは別に好きじゃない!
お神楽の人が食べていてそれから供えてくれるようになったけどとかいろいろ訴えていました。
あとパソコンのタブレットを操作して
いつもここにいますよ。
と音声機能を使ってしゃべりかけて来て、うまくいったと大はしゃぎでした。
いろいろ怪奇現象がありました。
お詣り行きましょうね。
こんばんは!
すみません、返信したつもりでおりました(^^;
また新しいお話が出てきたんですね~、さすがです。
共有してくださってありがとうございます。
とても遅くなってしまいましたが、本年もよろしくお願い致します!