魂的な視点でみる成功の価値

皆様、こんばんは。今日はいつもとカラーの違う話題を取り扱いたいと思います。

いつもながら、私が勝手に「神様のひとりごと」と呼んでいる、チャネリングのようなものを記事にしました。

テーマは、人間の人生における成功についてです。

成功する方法ではなく、人間の視点からみて憧れる人生と、そうではない生き方の違いについて、魂的な視点から綴りました。

スピリチュアルな話がお好きな方のみ、お付き合いいただければ幸いですよ。

(初稿:2019年9月26日)

 

人生の価値を神様に問う

残念だけれど、人間の一生には必ず、幸せも不幸せも含まれていますよね。

世間にもてはやされる生き方のできる人間ばかりではない、というのが実際であると思います。

時には、「人生に、どんな価値があるのだろう?」と問いたくなる一瞬が訪れることもある。それが、大多数の人間の一生ではないでしょうか。

スピリチュアルな世界では、魂を磨くことに意味がある。あるいは、前向きな心を持って波動を挙げれば、成功が引き寄せられる。

こんな風に語られることも多いですね。

一方で、成功すること、それ自体にどんな価値があるのかといえば、この回答は少ないように思うのです。

世に成功者と不成功者がいることを、神様的にはどう思っておられるのでしょうか。

相変わらず私のチャネリングもどきではありますが、今回はこれに応える「神様のひとりごと」をお話して参りますよ。

いつも通り、審神者のいない空言のようなものですから、あまり真剣に受け止めないでくだされば幸いです。

 

神様のひとりごと

質問:

世の中を見ていると、成功する人、そうでない人の間に、著しい格差があるように見えます。なぜこうした違いがあるのでしょう。

また、私たちはそれを宿命として受け入れなければいけないのでしょうか。

回答:

(まず、人体模型図のようなヴィジョンが見える。)

ひとりの人間と世の中の関係は、人体の細胞と全身の関係のようなものです。

命にはそれぞれ役割があって、生まれて来る度、異なる持ち場へ配属されるのです。ちょうど、遺伝子というひな型から、全身の細胞が生まれるのと同じように。

人間の身体でいえば、目や唇は働きが分かりやすく、目立ちます。

そうした役割にこそ意味があると考え、人間は注目するものですが、目玉だけ唇だけでは、人間の身体は成り立ちません。

同じところから来ても、それぞれが異なる役割を担うことで、大きな命が営まれるのです。

 

あらゆる命は神様の一部

世界を神そのものだとすれば、ひとりの人間というのは、生まれては死ぬことを繰り返しながら、個々の意志よりもっと大きい何かを表現しているといえます。

意識に上らない意志、そのやってくるところを、人間の言葉では森羅万象、あるいは神と呼ぶのでしょう。

人間の身体を例に考えてください。

Aさんという人間がいたとして、Aさんの正体を分析するために、胃や心臓だけを取り出しても、それはAさんの本質ではありません。

同じように、神とは何かを突き詰め分解したところで、理解できる存在ではありません。一個人の人生から、神の意志を知ろうとすることは、命の構図からいうと逆さまです。

神の意志があるから、あらゆる命はこの世に生まれ出るのです。命はそれ自体が、すべて神の意志なのです。

 

多様なかたちをとる命

神を人間の全身に例えると、個々の境遇の違いを考える時、大変な状況に置かれる個人の人生というのは、足の裏の皮膚細胞として生まれるようなことなのです。

大きな命の営みを成すために、絶対に必要だから、そこへ生まれて来る。それでも、その役割を果たすのは、並大抵のことではありません。

でも、大変な役目を終えたら、それで消えてしまうと早とちりもしないでください。なぜなら命というのは、どんな時でも自己再生を続けるものだからです。

足の裏の細胞は踏まれ、痛めつけられて、やがて役目を終えれば剥がれ落ちていくかもしれません。

それでも、細胞を生み出した命の本体(人間の全身)は、それによって健全に生き続けることが出来る。剥がれ落ちたところには、同じ遺伝子から再生された、新しい細胞がやってくる。

同じ源から来た、常に新しい誰かが、順番交代にその役割をなしていくのです。

足の裏と眼球では、一見すると、別物に見えます。でもこれらは、同じ人間の身体に生まれている以上、本質的には同じ存在、ひとつの命なのです。

 

人間の生は神様の営み

人間(あるいは他の命も)は、あらゆる人生のシナリオを、神という巨大な命を形作り、表現するために生き抜きます。

ひとつのシナリオを生き抜いたら消滅する、ということではありません。

人体が常に新しい細胞を生み出すのと同じように、皮膚組織(肉体)が死んでもまた、同じ命から表現された別の肉体として、この世に生まれ出るからです。

同じ命でありながら、容れ物を変えてまたこの世に出て来る、というのはそういうことです。

その時、全身のどこが持ち場になるのかは分かりませんが、今度こそは目かもしれないし、また足かもしれません。

人間の視点の高さからは分かりにくくとも、捨てられるために生まれる命はないということです。

 

誰にでも聞こえる神様のひとりごと

以上、突然、いつになく怪しい内容となり恐縮です。先日、京都に行ったので少し敏感になっているのかもしれません。

余談ですが、上記のようなチャネリングもどきの他にも、「為せば成る」と聞こえて来ました。

帰宅後、SNSを見ていたら参拝した某神社のアカウントにピッタリ同じ文言が紹介されており、2度びっくりした次第です。

本来、聖地でのチャネリングというのは誰にでも受け取れるものと思います。

これから秋の観光シーズンにかけて、神社仏閣や聖地巡礼に向かう方も多いかと存じます。ご参拝の折、皆様も心を素直にして、神様のひとりごとに耳を傾けてみてはいかがでしょか。

なんとなく明るい気持ち、希望を予感させる閃きなどとして、ご自分なりのメッセージをいただけるかもしれません。

 

それでは、本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!

2件のコメント

  1. 今日はかわいい手ぬぐいありがとうございます!
    トシサンも手触りがよいと気に入っていました

    先ほど、5分少々、ダキニ天様が神棚にいらっしゃいました。
    とらやのモナカを召し上がりにきたようです。
    気に入ったお供え物だとたまにいらしてくださいます。

    モッフーさんは豊川稲荷様は緊張したけどとらやが嬉しくて何度もトシサンに戻れと言っては引き返させたり良く見まわれた様子です。

    なかなか、とらやはお気に入りのようですね。

    またお会いしましょう

    酒井
    1. こんばんは。

      こちらこそ、楽しい時間をありがとうございました。
      例の中華がとてもおいしかったので、今度は自分でも行ってみようかと考えていたところです。

      豊川さんに行くときは、とらやをセットにすると良いのかもしれませんね(笑)
      お供え物選びの件、とても参考になりました。

      また東京にお越しの際はお声かけてくださいませ。
      次回、お会いできるのを楽しみにしております!

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