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日本の神様が語る古代王朝の秘密

日本の神様が語る古代王朝の秘密

皆様、こんばんは。前回、持統天皇の話をしたのに続いて、飛鳥時代の天皇に関する不思議な話をしたいと思います。

テーマは伊勢、陰陽五行説、不老不死など。あまりにもとりとめない記事になってしまいました。

古代史や医療に興味のある皆様でしたら、お楽しみいただける内容かもしれません。

▼目次


(初稿:2019年12月6日)

 

古代の祭祀に残る謎

突然ですが私はこのところ、ある野望を抱いております。何かというと、古代祭祀の意味を解明したいという野望です。

伊勢神宮の制度や大嘗祭などの国家祭祀は、飛鳥時代・天武天皇と持統天皇の頃に、今のスタイルの原型が整えられたといいます。このお2人は一体何を考えて、まつりごとの大改革を行ったのでしょうか。

とある不思議でスピリチュアルな実体験をして以来、ずっと気になって仕方がないテーマとなっておりました。

折しも、日本国は令和への御代替わりを果たし、宮中祭祀に注目が集まっている今の時代。

真面目で怪しい寺社ブロガーとして、私なりに徹底的に謎を究明したいと挑んで参りましたが、そろそろ中間報告をしたく存じます。

なので、このブログに書いてあることは、8割がた私の妄想とご承知おきくださいませ。

最初にお断りしておきますが、こうした考察をすることで、ご皇室や日本の神様を貶めるつもりは全くありません。

昔でしたら、殿上のことをあれこれ論評すること自体が大変な失礼であったでしょうが、令和の時代を迎え、改めて日本の原点を知りたいという私の熱意があることをご理解いただければ幸いですよ。

 

不思議な体験に導かれ

昔からこのブログをご愛読くださっている皆様はご存じのとおり、私が伊勢や古代祭祀への偏った興味を持つようになったきっかけは、ある日、不意に起きたリーディングでした。

その時に得られたヴィジョンは、天武天皇が壬申の乱を成し遂げた当時の様子と、新天皇となって抱いた野望、そこから始まった改革など。

詳細を読みたい方は、下記の過去記事をご覧くださいませ。

 【参考記事】有名人の前世が見えた話

一般的に、天武天皇・持統天皇が大がかりな改革を決行した理由は、当時、国内情勢が不安定だったために、皇室の権威をアピールする(=中央集権化)ためだったといわれていますよね。

でも、私はこの不思議体験がきっかけになって、別の考えを持つに至りました。それは、この二人の天皇の究極の目的は、不老不死を叶えることだったのではないか、という考えです。

突然、私の目の前に再生された一連の歴史ドラマのヴィジョン。

それは私に突拍子もない古代王朝の野望を告げ、以来、気になって仕方がない課題へと変貌していました。

本当に、怪しい話ですね。こんな理由から始まった素人の考察ですから、間違っていることもいっぱいあるかもしれません。

ただ、止むに止まれず追いかけて来た不思議な警告が、今でも当ブログの背骨になっていることは、事実なのです。

 

飛鳥時代の最先端技術

結論からいえば、私は伊勢神宮の祭祀や大嘗祭とは、古代の新天皇が不老不死になりたいという密かな願望を、国家祭祀の場で実験したものだったのではないか、と思っています。

もちろん他に、新しい時代の安泰を祈る意味もあったとは思いますけれども。

伊勢神宮の制度や宮中祭祀は、飛鳥時代よりも前から同じような伝統があって、それを整備したのが天武天皇の改革だろう、という一般的な見方。これは、その通りなのだろうなと思います。

でも、それ以上に私が注目しているのは、なぜ天武天皇は、斬新な制度改革をしなければならなかったのか?という点なのですね。

というのは、単純に新しい君主として認められるためなら伝統的な作法を守って、天皇家は昔からすごいぞ、と示しても良いですよね。

新しい外国風の作法を採用すると、かえって自分たちの伝統が色あせてしまうかもしれないのです。

なぜ国勢の不安定なタイミングで、外国の方法を採用しようと思ったのでしょう?

 

天武天皇が夢中になったもの

天武天皇と持統天皇が行った改革をみると、政治も神事も、「陰陽五行説」に従った変更ばかりであるとされています。つまり、お二人とも、非常に先進的な御方だったということです。

天武天皇は全国の神社を整備し、古事記の調査を命じたともいわれています。このため、日本的な文化を尊ぶ方、といわれがちな天皇ですよね。

一方、陰陽五行説は中国から入って来た哲学の一種で、当時の中国の理想が反映されています。伊勢神宮の祭祀や、大嘗祭の内容を見ると、あらゆるものが陰陽五行説に従って改革されました。

では、陰陽五行説を追及していって、何をしようとしてたの?といえば、その先にあるものが、私は神仙思想ではないかと思うのです。

つまり、仙人のように霞を食べる不老不死の存在になること。実際、天武・持統の時代、中国の国家宗教は道教だったと聞きました。

神仙思想の目指すものが不老不死なら、陰陽五行説を本格的に採用した天皇たちが、日本で初めてそれを我が身で実現しようとしたとしても、不思議ではないと思うのです。

和歌山県などに行くと、徐福伝説といって、日本へ薬草を探しに来た渡来人の伝説も残っていますよね。

この通り、大陸から日本へ渡った人の中は、国が招いた客人ばかりではなく、中国から日本へも「宝探し」に来る人がいたといわれています。

もっと古い時代、初めて日本の地に降り立ったというアジアからの移民たちも、宝探しに来た船乗りだったのではないか、という説があるそうです。

きっと、不老不死を叶える仙薬を求め、蓬莱山に行くつもりで日本にたどり着いた者がいたのではないでしょうか。

中国人の見つけた蓬莱山が日本なら、この国でこそ不老不死の妙薬が創れるはず。そう考える人間が古代日本に現れても、何の不思議もないと思うのです。

 

人類の見果てぬ夢を追いかけて

少し、歴史の話が続いてしまいましたね。改めて、現代の私たちに分かりやすい方法で考えてみましょう。

話を整理しますと、飛鳥時代の日本と中国の関係、それは現代のアメリカと日本の関係のようなものだったのでは?ということですね。

中国には不老不死の秘法が伝わっているらしい――そんな噂を天智・天武・持統の3人の天皇は、庶民に先駆けて耳にしていたのではないでしょうか。

日本国を納める君主として、大陸の新しい技術を取り入れなければ、という気持ちもあったかもしれないけれど、そうした責任感が一番強かったのは、きっと天智天皇だったのではないかと思います。

これは、前に三井寺と天智天皇陵に行ったときに感じことも参考にしています。

【過去記事】三井寺に学ぶ古代人のカルマ観

責任感の強い、いかにも国家元首らしい人物が天智天皇ならば、弟・天武天皇とその妻・持統天皇(=天智天皇の娘でもある)は、やんちゃで負けん気が強く、好奇心旺盛なタイプだったのかもしれません。

天智天皇が、国家統治に直接役に立ちそうなもの(時計など)に興味を持ったのに対して、弟夫婦はもっと、自己利益のあるものに興味を抱いたのでしょう。

具体的には、健康と長命と、引いては不老不死を叶えてくれそうな陰陽道と、その原理になる陰陽五行説に興味を持ったのではないでしょうか。

飛鳥時代の日本人と、道教的な思想の出会い。現代人が共感できるようにいえば、

「アメリカで細胞を操作する最新の科学技術が開発された。これが実用化されれば、ミトコンドリアの永続的な修復が可能となり、人間の健康寿命を200年ほど伸ばせると推定される。」

こんなところでしょうか。

もし、読者の皆さまが国の最高権力者で、こんなニュースを聞いたなら、自国でも同じ技能を開発してみたい!と思うのではないかと思います。

ちょうど、現代の日本でもips細胞などの再生医療の研究を進めているように、飛鳥時代の天皇たちも、先端医療の開発に興味があったのではないかというのが、私の考えなんですね。

いつまでも若く、美しくありたい。できることなら永遠の命が欲しい。

いつの時代になっても、それが人類の究極の願望なのかもしれません。飛鳥時代の人も、死と再生をコントロールすることを夢見て、それを実現するため陰陽五行説の研究に熱中したのではないでしょうか。

神社や祭祀を眺めることで、そんな人類の歴史が垣間見える気がしております。

 

以上、今日は神様というより、私のひとりごとでしたね。

ここに書いた内容は、あくまでも私の不思議体験をベースに調査をしたもので、一般的な学説ではありません。

もともと歴史は苦手なのを、ひいひい言いながら調べたものなので、ちょっと変な事を考えている人がいるんだな、とでも受け止めていただければ幸いですよ。

本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!

タグ: 伊勢神宮