天橋立・元伊勢籠神社と天女伝説

本日の投稿は、天橋立の元伊勢籠神社の参拝日記を補足する記事です。

こちらの天の真名井について、その後の調査で新たな事実が判明しましたので、紹介させていただきますね。

先日、天橋立を訪問した直後のブログで、天女の羽衣のように柔らかな気があふれる土地だった、ということをお伝えしました。

あの後、追加調査を行ったのですが、さほど的外れな感想ではなかったみたいなんです。

 

 

私が当初、天橋立を訪れた理由は、元伊勢籠神社に参拝するためでした。京都市外については全くというくらい知らなかったので、今回の都滞在では訪れなくてもいいかなあ、と思っていたくらいでした。

いざ天橋立まで足を運んでみても、お天気は生憎の雨。結局、籠神社以外は回ることができませんでした。

仕方なく、またいつか機会があれば…、と思って現地の観光案内の資料をいただいて帰り、中身を確認していたところ、籠神社の他にも、いくつか見所があることを知りました。

これらが気になって調べていたところ、なんと丹後半島には天女の伝説があり、その子孫だという一族が今でもこの地で暮らしていることが判明したんです。

 

 

丹後国風土記が語る天橋立の神話

天橋立エリアには「丹後国風土記」という書物が受け継がれています。

この書物によれば、籠神社の天の真名井そのものが、天女の降臨した場所だと言い伝えられてきたとのこと。しかも、ここは伊勢神宮の外宮の神様がもともと鎮座していた地ともいわれるのです。

更に、同じ地域の奈具神社でも、豊宇賀能売命(トヨウカノメノミコト)という天女を祀ってきたという話まで出てきたので、自分でもビックリしました。

これが本当ならば、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)の神話はもともと、天女だったと考えることができるかもしれません。

 

 

伊勢神宮・外宮 宇迦之御魂神の謎

今のところ、伊勢神宮の外宮の宇迦之御魂神は、食べ物の神様であるといわれています。

よって、食べ物である稲穂を守るお稲荷さんと同じ神様ではないか、と見る学説が主流になっているといいます。

結果的に、宇迦之御魂神も、外宮に祀られている神様も、お狐さんのことを指すという説が一般化したようですが、調べてみたところ、この学説に他の根拠はないようなのです。

宇迦之御魂神については、日本神話の内容から解釈しようとしても、食べ物の神様であること以外はよく分からないので、いまだに謎がいっぱい。

というのも日本神話の宇迦之御魂神は、登場するがはやいか、月読命の怒りをかって死んでしまうため、細かい姿が語られていないからなんですね。

一方、お稲荷さんは稲穂を守護する神様であることもあり、食べ物を守護する神様だと見なされてきた歴史があります。

だからこそ、天照大御神のお食事をお世話する宇迦之御魂神を稲荷神だ、とする説が定着したと言われるのですけれども、私にとって今回の経験は、こうした一般論に疑問を抱くきっかけとなりました。

 

宇迦之御魂神 故郷は元伊勢籠神社

伊勢の外宮が籠神社から招かれたという史実をもとに考えるなら、外宮にはお稲荷さんだけでなく、天女も祀られていたのでは、と考える方がしっくりくるように思います。

お稲荷さんは、人間の食べ物を守護してくださる神様。それに対して、天女(宇迦之御魂神)は神様の食べ物を扱う神様なのではないでしょうか。

そして神様の食べ物は、土地のエネルギー、つまり霞ではないかと私は思っています。

私がこんなにハッキリと天女説を語る理由のひとつは、天橋立で体感した土地のエネルギーが、普通の土地と異なっていたことにあるんですよ。

天橋立に漂う土地の気は、天女の羽衣のように柔らかで優しいんですね。

一般的な神社などでも浄化された土地の気は気持ちよく感じられるものですが、天橋立のエネルギーはそうした御神気よりも更に質が良いな、というのが私の感想でした。

今風にいえば、波動が高い、とでもいいましょうか。

天橋立のエネルギーとふつうの御神気とで何が違うかといえば、珍しく、体に影響がなかったんですよ。

いつもなら、土地の気が良いと髪や肌がその場でしっとりしてくるのですけれど、天橋立の土地の気は、私の体では取り込めませんでした。

これは恐らく、この土地の気が神様の食べ物だからだと思います。

 

 

京都滞在中に見た虹のコラージュ。
天橋立に向かう列車で外を見ていたところ、空のはじからにわかに虹が成長し、
列車の進行方向に5秒ほどアーチが結ばれた後、すぐに消えました。
写真左上の建物の上、電線の下なのですがスマホではきれいに映らず、申し訳ありません。

 

 

生身の人間では利用できない、極上の自然エネルギー。

それは昔ばなしの中で、神仙が食したという霞のようなものかもしれません。天橋立の空に漂うそのエネルギーは、私の目にはオーロラのように虹色に揺れて見えました。

最上級の自然エネルギー、つまり神様にとっての食物が溢れているのが、天橋立なのではないでしょうか。

天照大御神がご所望されたお世話役とは、天女だったのかなあ、と想像の広がる天橋立の参拝でした。

 

 

狐の嫁入りが、一瞬だけ止んだ天の真名井神社

 

天の真名井神社の御霊水。
参拝後、喫茶店で休憩している間にどしゃ降りの雨に。

 

 

丹後半島には伝説がいっぱい

天橋立について調査するついでに丹後半島の伝説を調べていたところ、天女だけでなく、かぐや姫の伝説もこの地域が発祥となった可能性があると分かりました。

かぐや姫は月から舞い降りた天女なので、竹取物語が天女伝説の一部なのかもしれません。

物語の内容をみると、不老不死と関係する話であることが分かりますよね。

土地の気から考えるなら、竹取物語は丹後半島に溢れるエネルギー、つまりは神仙の食する霞(かすみ)がどうやって生うまれたのかを想像する物語だったのかなあ、と思います。

かぐや姫の物語の終盤に、不老不死の薬を山で燃やしたところ、煙になって空へ昇っていったという場面が出て来ますよね。

実はこの場面が、真名井神社の周辺で見た景色をほうふつとさせるんですよ。

真名井神社の裏山を眺めていると、温泉の湯気の一部なのか、水蒸気のような虹色の陽炎があがっていて、それが空に立ち上って行くように見えたことが、今でも鮮やかに記憶に残っています。

竹取物語がどこまで事実を含めて創作されたのかが分かりませんが、天と地を結ぶこの虹色の煙を見た昔のひとが、物語の原型を作ったのかもしれませんね。

日本神話は古事記だけじゃない

竹取物語に登場する、帝が燃やした不老不死の薬から、いつまでも煙がたちのぼっていた、という煙。

この煙が天橋立に満ちている霞のはじまりだとすると、この霞も天からもたらされたことになりますよね。なぜなら、帝に不老不死の薬を送ったのは、天女であるかぐや姫その人だったのですから。

だとすれば、天橋立に満ちる霞を取り込める体質になることは、天界の住人になることと同じなのかもしれません。不老不死がかなうということは、つまり天女や神に生まれ変わることだと、昔の人は考えていたのではないか、と私は想像しました。

同じような話を斎藤一人さんの前世の話でもしましたけれど、古代人は不老不死への探求にとても熱心だったのだと思います。当時、死を克服する方法を見つけることは、現人神になる方法を発見することと、同じくらい重要な意義があったのでしょう。

 

このように考察していくと、天橋立の位置する丹後半島には、古事記とは別の神話が存在していたのかもしれませんね。

古事記では、岩長姫との婚姻を拒んだから人類に寿命がかせられた、ということになっています。

しかし、丹後半島の神話を見ていると、古事記とは違った目線で死が語られているように感じました。

もしかすると遠い昔の天橋立では、天女が月に帰ってしまったこと、さらに人類の代表だった帝(または土着の豪族の首長など)が渡された薬を燃やしてしまったことで、人間に寿命ができた。そんな内容の神話が存在していたのかもしれませんね。

竹取物語は、そこから発展して後世に受け継がれてきたおとぎ話なのではないでしょうか。

古事記をまとめた時、朝廷側が主役にしたかったのは、天照大御神とその子孫にあたるという自分たちの伝説だったはずですから、物語の筋がちぐはぐにならないよう、竹取物語は神話の中に取り入れられず、民話に降格されたのかな、と思います。

 

 

 

以上、今回は私のひとりごとでした。

最後までお付き合いいただいた皆さま、ありがとうございました!

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