明石 御厨神社で日本の神様の謎を追う

皆様、こんばんは。本日は、明石の御厨神社さまを紹介したく存じます。

読者の方からいただいたリクエストにお応えする記事の第二弾です。よろしくお付き合いくださいませ。

 

▼目次

(初稿:2020年2月19日)

 

御厨神社は厄払いの人気スポット

御厨神社(みくりやじんじゃ)は、兵庫県明石市東二見に鎮座する神社です。

ご由緒書によれば、神功皇后が船を泊め、軍用の食料を集めた場所だそうです。海の近い明石の地にあったので、海運業に携わる方から崇敬を受けたとのことですよ。

現在のご祭神は誉田別尊、菅原道真、素蓋鳴命(牛頭天王)とされていますが、色々な神様への信仰が混ざりながら伝わっている土地という印象でした。

御厨神社さまは厄払いでも評判とのことですが、ご祭神に素戔嗚命が入っていることと関係があるのでしょうか。京都の八坂神社が祇園さんの愛称で親しまれるように、古来、素戔嗚命は疫病除けの神様として知られています。

御厨神社さまでも祇園祭をしておられるとのことで、今も厄除けの神様として人気があるようです。

 

明石に残る菅原道真の伝説

御厨神社さまは平安時代に八幡さまを勧請、その後10世紀末頃になってから、菅原道真公も祀るようになりました。

これは道真が大宰府に流されていくとき、明石の二見浦に船を上陸させたという言い伝えが残っていることが理由のようです。昔から明石は重要な海の路であったらしく、道真もそのルートをたどって移動したのでしょう。

御厨神社さまには、菅原道真が一夜の宿にしたという仮寝の岡、手植えの松を残した仮寝の松もかつては存在したといいます。残念ながら、この松は枯れてしまったとのことですが、現在は代わりの石碑が残されています。

菅原道真を象徴する花といえば梅ですが、御厨神社さまの境内には見事な梅苑がありました。こちらの梅は紅色の他にもピンク、白色などのバリエーションがあり、お花見としても美しい場所です。

 

御厨神社と仏教の時代

御厨神社さまの摂社末社を見ていると、ご祭神から推察できることがいくつかありました。

それは、意外に仏教の影響が大きかった神社なのでは?ということです。

ご由緒によれば中世の頃、高野山真言宗系の海雲寺というお寺が、御厨神社さまの管理にあたっていた時代があったそうです。

私が仏教を感じた神様の具体例をあげますと、金毘羅神社、秋葉神社、大歳神社、北辰神社などですね。金毘羅さんといえば、真言宗の祖・空海の出身地である四国の神様。お遍路さんの本場に近い兵庫県のお寺は、高野山真言宗のところが多いようです。

それから秋葉神社は、太陽の神様としても祀られる神様ですね。北辰の北極星、大歳の吉方位が並んでいるのをみると、密教のお寺で星占いをやっていた名残かも?と思いました。

残念ながら現在、海雲寺は残っていません。唯一残るのは塔頭だった威徳寺さまで、帆下げ観音という仏様がおられるそうです。

神社の記録は過去、火事で燃えてしまったそうで、御厨という社名の起源については確認ができないとのこと。しかしながら神社さんからは、伊勢神宮の荘園ではなかったか?との見方が出されています。

私としては、伊勢の荘園説に大賛成なのですが、その理由を見ていきましょう。

 

御厨神社と伊勢神宮に関わる謎

御厨神社さまについて、最初に私が気になったのは周辺地域を含めた地名でした。

まず兵庫県を代表する街として、神戸の名があります。神戸と呼ばれる土地は、本来、色々な地域に存在していたのです。昔は、「かんべ」という読み方でした。

神戸の役目は、伊勢神宮にお供え物を奉納することでした。

古くより各地に存在した神宮の領地があって、それを御厨御薗などと呼んでいたそうですから、御厨さんという神社に名前を伊勢と結びつけて考えることは、とても自然な発想といえるでしょう。

鎮座地の住所「二見」が、伊勢の二見浦に通じることも気になる点です。

伊勢と共に名前の挙がる志摩は、現在でも伊勢神宮へ海の幸を奉納する地域として知られるように、明石の二見からも海産物をお供えしていたのかな、と思いました。

御厨神社さまの他にも、例えば伊勢神宮の遙宮・瀧原宮が、同じく荘園から始まったのでは?という説があります。

このような荘園には、伊勢の神様を祀る習慣もあったそうで、全国の神明宮の原点ともいわれているそうです。御厨神社さまの境内にも、天照大神を祀る複数の社がありました。

 

スピリチュアルな視点でみる御厨神社

御厨神社さまを初めて訪れた時、私が抱いた感想は、何だかえびす様っぽい神様だなあということでした。

御厨さんの境内から海を眺めることはできないのですが、なぜか海からやってくる自然のパワーを受けとめる神社のように思えたのです。

もしかしたら、昔はこの辺りまで海が広がっていたのではないか。神戸で感じた、古代の海の路と繋がって同じ流れの中にあった神社なのではないか?そんな気がしてなりませんでした。

更にこれも私が勝手に思ったことですが、神功皇后の伝説が残る地域には、民族的なつながりがあったのかもしれません。西宮えびす神社・住吉大社・御厨神社などはいずれも、神様のカラーが似ていると感じます。

古代の船では、船上に神様を祀っていたといいます。海を越えて広まった神話は、もともと同じ民族が語り継いだ物語だったのでは、と思いました。

天照大神は男の神様だったのに、御付の巫女と混同され女神に変化したのかもしれないという説は、先日も紹介しましたね。

神功皇后の伝説もまた、日の神を祀る巫女から始まったとは考えられないでしょうか。

私としては、天照大神と神功皇后のイメージが重なるように思いました。現代人の知っている天照大神様のイメージを、最後に固めた人物こそ神功皇后だったのかもしれません。

 

境内社に隠された伊勢とのご縁?

御厨神社さまは以前、別の場所から引っ越しをしたそうで、前の土地には君貢神社という神社があるそうです。現在の御厨さんの境内者にも君貢神社が残っています。

「君子に貢ぐ」という名前をみると、やはり伊勢の荘園説は否定できない気がします。特に次の3つの神社については、興味深いポイントがあります。

 

朝日神社(天照大神)/夕日神社(豊受大神)

朝日と夕日の神様として、伊勢の外宮と内宮の神様が祀られています。

境内の2カ所、おそらく東西(方位磁石で測ってないため方位は予想です)に分かれて、2つの社が置かれていました。

こちらは、建築様式もいわゆる神明造というかたち。伊勢神宮と関係することは間違いありませんが、遠く離れた天照大神様へ祈りるための場所だったのでしょうか。

 

霊牛神社(ご祭神:渡会春彦)

個人的に、もっとも興味を惹かれた神様でした。渡会と書いて、「わたらい」と読みます。

渡会氏というのは、伊勢の外宮に奉仕する神主さんの家系。ご祭神の春彦さまは、もともと渡会家出身の人間だったのではないでしょうか。

神社の境内に人間を祀る場合、神主さんや氏子さんのご先祖さまであることが多いのです。

だとすれば春彦さまも、御厨神社に派遣された伊勢の関係者だったのかもしれません。御厨さんの神職が、渡会氏から選ばれていた時期があったのか。

なお、現在の春彦さまは、名前の通り天神さまを象徴する霊牛としても崇敬されていました。汗疹封じのご利益をいただけるとのことですよ。

 

日本の神様と西日本ネットワーク

大阪、兵庫の神社めぐりをしていると、日本の神様同士の不思議なつながりを実感します。

私としては、先にあげた西宮えびす神社・住吉大社・御厨神社の3社は、もともと海の民の守護神だったのではないかという気がしています。

もし神宮皇后に、日の神の巫女の役目もあったとすると、住吉大社や御厨神社などは、結局、伊勢神宮と天照大御神につがる存在なのかもしれません。伊勢、大和朝廷、皇室を結ぶ日本の神様のネットワークが、西日本の海には残っていると思います。

日本の神社では、船を神聖なものとして扱いますよね。単に需要な乗り物を崇敬する気持ちだけではなく、船自体が神様をお運びする社と考えられていたことが背景にあるのでは?と思いました。

 

天照大御神とえびす様

最後に、おまけの話を。

日本神話のとおりなら、伊邪那岐命と伊邪那美命の夫婦神が最初に生んだ子供は、えびす様ということになります。しかし、その身体がヒルのように柔らかい発育不全の子だったので、海に流されたといいます。

他の兄弟たちが生まれて、夫婦神の離婚が成立してから生まれたのが天照大御神。なので、研究者の方などは「えびす様の歴史は古事記の神話より古い」ともいうそうです。

神宮皇后の伝説が広まる前、兵庫や大阪ではどんな神話が語られていたのでしょうか。もしかすると、その中にえびす様が登場したのではないか?私にはそんな予感がしているところです。

 

以上、兵庫県明石の御厨神社さまについて紹介さしあげました。歴史の話が多くなってしまい恐縮ですが、それだけ古くから神様を祀っていた、伝統ある地域だと分かっていただければ幸いですよ。

リクエストをくださったNさま、神社へのご案内をはじめ、たくさんのお時間を都合してくださったこと、改めて感謝申し上げます。

それでは本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!

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