日本人がお米を大切にしてきた神様的な理由

皆様、こんばんは。

本日は久しぶりに、本格的にまとめた「神様のひとりごと」をお話させていただきます。神社につき物のお米は、日本でも一番神様的なアイテムかもしれません。

ではなぜお米が、特別にスピリチュアルな存在と見なされるようになったのか?

伊勢めぐりの間に、私の受け取ったチャネリングのようなものと、学術的な調査をあわせて記事にしております。

いつも通り、話半分に聞いていただければ嬉しく存じますよ。

日本の神様について知りたいという皆様、よろしくお付き合いくださいませ。

 

▼目次

 

(初稿:2019年8月11日)

 

日本の神様とお米の深い関係

食べ物の好みは別にして、私たち日本人の伝統を振り返りますと、お米を非常に尊いものとして扱って来た歴史がございますね。

例えば、神事では祓い清めのためにお米を撒き、正月には米からついたお餅をいただきます。

現代になっても、なお天皇陛下のお仕事として、ご自身の新田で稲穂を育てることが入っている事実を考えましても、日本文化における米の重要性は見逃すことができません。

なぜ、お米はこんなにもありがたい食べ物とされてきたのでしょうか?

伊勢神宮にお参りした際のチャネリングをもとに、学術的な調査結果を補足しながら語って参りましょう。

 

伏見稲荷大社とお米の神話

日本の神社といえば、必ず登場するのが稲穂と米ですね。あらゆるお供え物の中でも、お米は別格の存在として大切にされて来ました。

更に、お米の実る稲穂は命の根(=イネ)と呼ばれるように、人間が生きていくうえで欠かせない存在であると見なされてきました。

でも、なぜ米なのか?理由を考えたことはございますか。

誰にでも確認していただける日本各地の神話を振り返って見ますと、この答えを見つけるヒントが見えて来るように思います。

稲にまつわる神話はたくさんありますが、今回ここで取り上げたいのは、伏見稲荷大社に残る秦氏の伝説でございます。

キツネは稲穂の守護者とされ、稲荷の名前のついた稲荷山をご神体とする以上、この地がお米の信仰と関係が深いことは間違いないと思うからです。

伏見稲荷大社には、次のような創建の伝説が残っております。

 

【伏見稲荷大社の伝説】

平安京ができるよりも古い時代、当時すでにこの地に住んでいた豪族・秦氏の人間に、伊侶具(イログ)という人がいました。

伊侶具は、大変なお金持ちでしたので、弓矢の的にお餅を使い、矢を放ちました。すると餅は白い鳥に変身して飛び去り、稲荷山へと舞い降り、そこには稲穂が実りました。

このため、この地を稲荷の名前で呼ぶようになったといいます。

その後の時代、伊侶具の子孫たちはこの行いを悔やんで、伏見稲荷の木を抜き、自宅に植えて祀ることにした、として物語は締めくくられます。

 

 

現代と違う古代人の常識

この話を呼んで、現代人なら「おや?」と思うかもしれません。それは、なぜ子孫たちが伊侶具の行いを悔やんだのか?ということです。

ふつうに考えるなら、昔、お餅が大変な高級品だったことが挙げられるでしょう。

農業技術の発達していなかった時代です。当時の人にとっては、食べ物を粗末に扱ってはいけない、特にお米を粗末にするのは罰当たりだ、という常識があったのは当然ですよね。

ここまでは、現代人の感覚に通じるものがありますので、分かりやすいかもしれません。

でも、私はこの物語に、食物を大切にしなさいという教訓以上の、古代人の哲学が隠されているように思うのです。

 

伊勢神宮に聞く稲穂の秘密

ここから、チャネリング混じりの眉唾な話をしますので、不思議な話に付き合える方のみ、読み進めてくださいね。

伊勢神宮に行った時のことでした。結論からいうと私はこの地で、古代の日本の神様の姿を見た気が致しました。

伊勢に行くと、稲穂を保管するための倉庫のような建物が、そのまま神殿として扱われていますよね。

なぜ米蔵が神殿になったのか、考えたことはございますか。

伊勢神宮におりますと、私にはその理由が、「もともと、この土地では田んぼの神様を祀っていた事があるから」と聞こえてくるのです。

土地の神霊が語ってくださっているのかもしれませんが、霊視できるタイプではないので、残念ながら何が語っている話なのかは分かりません。あるいは土地の記憶なのかもしれません。

どういう意味かというと、つまり、天照大神さまがたどり着くよりも前の時代、伊勢では土着の神様として、田の神を祀っていたらしいのです。

いわく、稲穂はご先祖様の神霊が宿る依り代だった、と。それは、稲が貴重品として扱われた最初の理由でもあるようです。

つまり、米にはご先祖様の魂が込め(=コメ)られているんですね。

生身の人間は米を食べて、ご先祖様(=神様)の生命を引き継ぐらしいのです。だから、米が実る稲穂を命の根、イネと呼ぶのだとか。

以上、いかがでしょうか。

すべて私が勝手に「神様のひとりごと」だと思っている話ですから、私の頭がおかしいのかもしれません。その点はご承知おきくださいませ。

 

お米を大切にした方がいい神様的な理由

私が「神様のひとりごと」と勝手に呼ぶこれらの内容に、少しでも真実があるとすれば、お米とはご先祖さまから受け継いだ、生命力そのものといえるのでしょう。

魂を受け継ぐ道具だからこそ、何より尊ばれるのですね。

先に紹介した伏見稲荷大社の伝説も、ふつうに解釈すれば、高級な食べ物を粗末にした話にしかなりません。

でも、本当はご先祖様の魂に粗相をした話なのだと考えたら、子孫がそれを過ちとして悔いた理由が分かる気がしませんか。

更に矢を射られた餅は、鳥になって飛び去ったといいますが、なぜでしょうか?

それは餅が、亡きご先祖様の魂を象徴するものだったからではないか。

私自身はチャネリングを通じて、そう考えるようになりました。

古事記を見ても、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が亡くなったとき、その魂は白い鳥に姿を変えて飛んで行ったという逸話が登場しますね。

餅、白い鳥、魂の3つを同じものと考えるのは、的外れな話ではない気が致します。

 

なぜ狐は神様のお使いなのか

お米をご先祖さまの魂と見なすと、狐が神聖な存在とされてきた理由も分かるのではないかと思います。

学術的には、狐はネズミなど稲作の害獣を対峙し、作物を護ってくれる存在だったため、神様の使いして神社に祀られるようになったそうです。

一方、お米=ご先祖さまの魂と考えるのであれば、これにも違った意味が見えてきます。狐が護ってくれるのは、食べ物より、むしろご先祖さまの魂そのものなのかもしれません。

そのように古代人が考えていたならば、お稲荷さんが神の使いといわれたのも、納得できる気はしませんか。

 

あの世へ旅するご眷属

ところで、狐が神聖な生き物とされた学問的な理由は、他にもございます。現実の狐は、穴に住む習性がありますよね。

狐にとって居心地が良かったのか、古墳の周囲に棲みついたので、お墓の守り手と考えられていた可能性もあるといわれています。

いわば、自然界の墓守とみなされた訳ですね。

狐の生活パターンを見た昔の人は、あの世とこの世を行き来する、特殊な生き物が狐であると考えたのかもしれません。

昔、山や古墳は死者の領域で、生きた人間が気軽に行ってはいけない場所でしたから、そこを出入りする狐には特別な力があると考えられたのでしょう。

でも、個人的にはこの考え方も、稲穂=ご先祖さまの魂という視点に立つと、もっとすんなり理解できる気がしております。

あの世を住処として、この世に降りては米を守る。

それがお稲荷さんという存在だったとすれば、当時の日本人にとって、狐はご先祖さまの魂(=神様)の護衛官だったのでしょう。

そして、春になるとご先祖さまの魂を乗せて、里まで降りて来るのですから、神様の乗り物、つまりご眷属として信仰されたのではないでしょうか。

 

お米は日本人の魂の原点

以上、スピリチュアルな視点と学術的な視点の両方から、日本人にとってお米が特別な存在とされてきた理由をお送りしましたよ。

現代でも、神事に欠かせないお米は、日本人にとって一番重要なスピリチュアル・アイテムといっても間違いないでしょう。

お米から造るお餅も、縁起物の代表です。餅がめでたい理由は、お餅が新しい魂の象徴だったため、それを食べることで延命長寿を祈ったとの説もございます。

お正月にお餅をいただく習慣の起源は、新しい命を口から取り入れ、元気をいただく儀式だったのですね。

お餅とは、お米の塊ですから、先祖代々の命が込められた食べ物なのです。古代人にとって、生命力を補うサプリメントのような存在だったのかもしれませんね。

日本の伝統的な開運アイテムのナンバーワンを決めるとすれば、それはお米で間違いないのではないでしょうか。

さて、いつになく長くなりましたが、伊勢神宮でのチャネリングをもとにした、日本人がお米を食べる理由、あるいはお米を大切にするスピリチュアルな理由でした。

米食の文化も廃れつつある近年。見慣れたごはんも、こんな視点からとらえ直すと、毎日の生活がちょっと楽しくなるのでは、と思いますよ。

本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!

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