伊勢神宮が特別な聖地になった理由

皆様、こんばんは。今日は日本の神様について、私自身が神社を巡りながら感じた事の覚書です。

日本の神様を考えるヒントとして、総氏神とも呼ばれる伊勢神宮を例に、私なりの感性と調査から考察したことを紹介して参ります。

神社と聖地がお好きな皆様、よろしくお付き合いくださいませ。

 

▼目次

(初稿:2019年7月7日)

 

神社はいつから神様の住まいになったのか

今回は久しぶりに、私のアンテナにかかったことを中心にお話致します。いわゆるチャネリングのようなものですから、与太話のつもりで聞いていただければ幸いですよ。

実は、お参りを始めたごく最初のころから、伊勢神宮を訪れるたびに感じたていたことがあります。それは、日本の神社が神様のお住まいになった原点は、この伊勢にあるのかも?ということ。

神宮は、名前の通り神様ための宮殿ですね。でも、実は日本人は最初から、神社=神様の居場所と考えていた訳ではないようです。

 

臨時ゲストだった古代の神様

神社が神様の居場所でなかったとすると、もともとは何だったのでしょうか。古来のイメージですと、神様は必要な時にしか降りて来ない存在と考えられていたようです。

今でも、神様が降りて来る道具や岩などのことを、依り代と呼ぶことがありますよね。依り代とは、神様が一時的に降りて来て、それに宿るもののことを指します。

<諏訪大社の御柱>

つまり、もともとの日本人の考え方だと、神様は臨時ゲストであったのでしょう。

神様の普段の居場所は、幽世(かくりよ)や常世と呼ばれ、人間界とは別の世界にあるとされました。

更にあの世とこの世を結ぶ入口は山の奥にあって、そこから人間の住む里へと降りて来ると考えられていたようです。

京都の下鴨神社・上賀茂神社で行われる葵祭などは、このような神様の降臨を模した儀式が、現代に伝わったお祭りなのかもしれません。

 

お祭りは神様へのおもてなしだった?

神様が降りて来る特別な日。その代表格が、お正月あるいは田植えの期間(伊勢にも神田があり、御田植祭がありますね)だったともいわれます。

お祭りの起源は、神様に対する歓迎会だったといっても良いかもしれません。

他にも古くから続く神事の例をあげれば、例えば出雲には神迎え(神在月)神事があるのを見ても、神様はどこからかやってくる存在だったと分かります。だからこそ、お祭りというかたちで、氏子さんが集まって神様を出迎える儀式も必要だったのでしょう。

こうした伝統があることを見ても分かるように、昔、神様は人間の世界に常駐するものではありませんでした。神在月なら神在月の間だけそこに宿る存在で、お祭りが終わるとまた元の世界へ帰っていくと考えられていたようなのです。

実際、出雲に行くと佐太神社などに昔のままの神在月の儀式が引き継がれていて、最後に神様を送り出す神事もあるそうです。

神在月でお越しになった神様の多くは、神事が終わるとお帰りになるそうですが、中にはそのまま居残る神様がいるそうで、そんな長居するのが好きな神様のことを、「しわ神」と呼ぶとうかがいました。

でも、時代が下がるほどに人間の感覚が変わって、神様というのはいつでも神社に居る、という考えが出てきます。

その理由ははっきり分かりませんが、仏教が入って来たことと関係があるような気はします。なぜなら仏様は、開眼供養さえすれば仏像にそのまま入った状態が続くので、いつでも奉安されたその場所におられるからですね。

 

どうしてお米は神様のお供え物なのか?

更に、お正月はもともと、ご先祖様の魂が戻ってくる儀式だったと聞いた記憶があります。出雲の神在月のように、期間限定で戻ってくる神様とは、ご先祖様の魂だったのかもしれません。

一方で、神様のなかには自然の精霊、つまり山の神と呼ばれるようなご先祖様とはまた別のグループが存在していたようです。こちらは、自然そのものを神様とする考え方です。

現代人でも感じる、山や川に宿る自然=神様という発想に近い考え方が、昔からあったのでしょう。

このような自然の神様の起源を探ってまいりますと、たどり着くのが、実は田植えではないでしょうか。

少し怪しい言い方をすれば、私などは伊勢神宮の境内の古殿地を眺めていると、これは田んぼに通じる仕組みなのだ、というメッセージが聞こえて来るように思う時があります。

伊勢神宮が神田を持っているのみならず、別宮の伊雜宮にも御田植祭という有名なお祭りがありますね。

そもそも昔は神社を建てることもなく、田んぼの中などに柱を立て、お祭りによって神様を招いていたともいいます。そして、お祭りが終わると、神様が降りた後の柱を地面に倒し、パワーを土地にうつすことも行われていたようです。

昔の日本人にとって田んぼはご神域と同然の場所で、神様が降りて来る舞台でもあったのでしょう。

そこに実る稲穂は、もちろんこの世に現れた神様の象徴だったのかもしれません。

 

伊勢神宮が画期的な聖地である理由

伊勢神宮が創建された時代も、おそらくは上記のような古い考え方が生きていたのだと思います。

でも、伊勢神宮にはこうした古い時代と、決定的に違う考え方をしているところがあります。

それが何かというと、伊勢神宮では神様の宿った柱を社殿の地下に埋めてあること。神様が宿った柱から、地面に神様を移すのではないのですね。

そして社殿の周囲には玉垣を巡らせ、清浄な空間を守っている。これはつまり、お招きした神様があの世に還らなくてよいように、特別な仕組みを用意したのではないかと私は感じます。

皇室のご先祖様であるという、天照大御神さま。天照さまが長い時間、ずっと滞在できるよう整えた神殿、依り代ではない神様の住処が伊勢神宮ではないか、と私は思うのです。

昔の人にとって、本来であれば期間限定でしかお目にならないはずの神様。特別な方に、いつでも会いに行けるようにしたいという祈りを込めて整えられた特別な聖地が、伊勢神宮ではないでしょうか。

 

古代日本に興味のある方へ

最後に、日本の古代社会に興味がある!という方に入門書を紹介いたします。

本記事で取り上げたような、神様が降臨するお祭りのうち一番古い形式を残しているのが、実は諏訪大社の御柱祭ではないか、といわれておりますよ。

諏訪大社―勇壮な御柱祭にわく (週刊神社紀行 11)

諏訪大社―勇壮な御柱祭にわく (週刊神社紀行 11)

発売日: 2019/09/22
Amazonの情報を掲載しています

 

今、秘かな縄文時代ブームが起きているといいますが、実は信州は縄文時代の大都市があった地域として知られています。神社を知るための勉強をしてくと、究極的には考古学に行きつくのです。

縄文人について紹介する書籍もたくさん発売されていますが、特に信州の縄文時代について知りたい場合は、以下のような本もございます。

信州の縄文時代が実はすごかったという本

信州の縄文時代が実はすごかったという本

藤森英二
2,160円(09/22 19:31時点)
発売日: 2017/01/26
Amazonの情報を掲載しています

 

以上、つらつらと書き連ねてしまいましたけれども、私なりに日本の神様の原点に迫ってみましたよ。

本当は、以前に伊勢神宮の記事を書いた時に投稿したかったのですが、テーマが壮大でまだ全部を書ききれておりません。少しずつまとめていく予定ですので、よろしければ今後もお付き合いくださいませ。

 

それでは、本日も最後までご覧下さった皆様、ありがとうございました!

2件のコメント

  1. 面白く拝読させていただきました。
    昨日は、モッフーちゃんの実家検見川神社にお参りしまして、モッフーちゃんとのさらなるコンタクトが取れますようにって主人がお願いしていました。
    最近は喧嘩もせずにうまくやれている様子です。
    近いうち豊川様にも行きたがっていますので、行くようにします。
    忙しそうですがまた会いましょうね。

    酒井いづみ
    1. コメントありがとうございます。
      アメブロの方から、メッセージをお送りしました。
      また、豊川様にもご一緒できると良いですね。
      梅雨の冷えを感じる季節ですが、体調などお気をつけて。
      ご主人にもモフモフにも、よろしくお伝えください~。

コメントを残す