あなたが幸せになるべきスピリチュアルな理由

皆様、こんにちは。

こちらはお盆期間にこっそり書いた記事です。お盆のような季節の節目に入りますと、私などは土地の状態がガラリと変わるように感じます。

今回は、土地の状態の良し悪しを考える上で、私にとって印象的だった経験をひとつ紹介いたしますよ。

人間の幸せと土地の関係について興味のある皆様、よろしくお付き合いくださいませ。

▼目次

(初稿:2019年8月18日)

 

令和元日を包んだ優しい祈り

人間は皆、幸せにならなければいけない、との思いを強くしたのは、御代替わりにまつわる不思議な経験がきっかけでした。

令和元日の朝、目が覚めるときのこと。

不思議なほどにすっきりと気持ちよく、なぜだか外が明るいように感じるのです。

その日は決して長い時間の眠りではなくても、気持ちよく起き上がることが出来ました。

目が覚めましても、夢うつつに眺めた世界は穏やかさに満ちており、どこか山奥にでも引っ越したんだろうか、と錯覚するような感覚がございました。

私に変化を感じさせたものは、もちろん自然の環境ではありませんでした。

新天皇が即位されたあの日、外界の空気を変えたもの。

それを私は、日本に生きる全国民が発する感情のエネルギーであったのかもしれない、と感じたのです。

 

人間の感情は意外にパワフル

時折書いて参りましたように、私は色々なものが直接、体調に出るタイプです。

見えない世界だけが原因とも言いませんが、梅雨の終わりころから秋の始まり頃まで、例年は具合の悪い日が増えるのが常でした。

幸いにして今年は長雨続きでしたから、ふだんよりはずっと調子も良かったのですが、令和元日の頃は梅雨入りよりも前でしたね。

雨とは関係なく、日本の国土を満たしている空気が浄化されて、明るく輝いていたことになります。

ですから光の正体について、これは国民の希望の心なのではないか、と私は思った訳ですね。

1億人以上もの人間が発する感情。そのエネルギーの強さは、見過ごせない気が致します。

新天皇の即位は、国民が心を合わせて歓迎できる、またとないニュース。これだけ大きなスケールで、国民が共に喜びを分かち合える機会は、そうそうありません。

令和元日に起きた世界の変化は、今を生きる人間が前向きになることには強い力があるのだと、改めて気づかされる経験となりました。

 

生きた人間が現実を変える

人間の感情が発するエネルギーの強さについては、逆の場合を考えても分かるのではないでしょうか。私ほどではなくても、人混みや満員電車が苦手という方は多いか存じます。

例えば、公衆の面前での怒鳴り合いに出くわした時、なんとなく自分まで不安やイライラを感じる。

仲の悪い2人が居合わせる会議に参加した後、とてつもない疲労感を覚える。

以上のような経験は、誰にでもあるでしょう。

これが生きた人間が、他の人間に与える影響の例ですね。ですから罵声や腕力に頼らずとも、人間は周囲に影響を及ぼすことができる、と私は考えておりますよ。

そして、生きた人間同士の影響は都会に行くほど、強くなるとも感じています。きっと、人口密度があがるほど、想念を発信する人間が増えるからですね。

私としては、東京と京都を比べた場合、京都にいる時の体調が楽なのには、人口密度も関係していると思っています。

 

それから、もうひとつ私が大きいと感じるのは、集まっている人間の気持ちです。

京都は、日本の代表的な観光地。京都を訪ねる方は、喜びや楽しみを見つけたくて来ている方が多い場所ですね。

だから混雑しているとしても、感情的に前向きな人が自然と集まります。幸せな人が集まっていることの影響は、やはり無視できないでしょう。

私が滞在していた時、地元の方から「京都は、のんびりしてるでしょ?」と、お声をかけていただいたことがありました。

それには京都の風土もさることながら、この地を訪ねる人が、喜びや期待を抱いてやってくることも関係しているのではないでしょうか。

 

現代から失われつつあるもの

現代では、いつも何かを効率的にこなして、成果を出すことが求められがちですよね。

競争しなければ、急がなければ、足手まといになるものは邪魔臭い、という考え方が定着してしまっているのかもしれません。

現実の世界で頑張ることは大事だけれど、こうした姿勢を切り替えられなくなることで、新たに出てくる問題もあります。何かというと、イライラする理由を見つけるのに事欠かなくなってしまうんですね。

そういう世の中になると、失われてしまうのは安らぎです。もし、この世が不機嫌な人間ばかりになったらどうなるのでしょう?

残念なことに、精神的にもエネルギー的にもネガティブな影響を受けるのは、そこに居合わせる人間たち自身であると思うのです。

 

京都御所の不思議な話

せっかくなので、まだ記事に取り上げていなかった小話をひとつ致しましょう。

京都のように、のんびりした雰囲気を良しとする日本的な価値観の源泉は、平安時代から営まれて来た、お公家さん文化と関係がある、と私は思っています。

これは京都御所での少し不思議な体験なのですが、御所の内部拝観に行ったときのこと。

お座敷から、昔の貴族たちの意識のようなものが残っているのが感じられるんですね。

平安貴族なのか、もう少し後の時代なのかは分かりませんが、顔を真っ白にぬった能面のような出で立ちの男女がいる、と感じられました。

こうした貴族たちの存在を初めて感じ取った時、私にとって一番カルチャーショックだったことは、彼らの場合、何もかもが驚くほど遅いんです(笑)。

動くのも、話すのも、ものを考える速度さえ、現代人からすると、スローモーションです。

きっと、あの時代の人たちからすると、美意識が異なるんですね。不用意に音を立てたり、急いだりするのは、みっともない行為だったのかもしれません。

乱れないこと、つまり調和を大事にするあまり、ほとんど瞑想しながら生きているのでは?というくらい、意識も体も動かさない生き方をしていたんだなあ、と感心してしまったのでした。

 

今日を少しだけ快適にするために

以上、私の令和元日の思い出から、人間の感情のエネルギーについて考察して参りましたよ。

もちろん、現代は平安貴族の頃とは時代が違います。

ビジネスの場面など、のんびりしていては間に合わないシーンも多々ありますので、いつでも穏やかに落ち着いていなければ、というつもりはありません。

しかし、もし自分がいつも発散している感情のエネルギーが、身近な人たちにまで影響を与えていると考えたならばどうでしょう?

のんびり、穏やかな気持ちを持つことに意義があると思えるのではないでしょうか。

通りすがりの人に対してであっても、悪感情を撒き散らさないほうが良いことは間違いありませんよね。

毎日を振り返って見て、そんなことでそんなに急ぐ必要があったかな?とか。

あるいは、こんなことに目くじらをたてることもなかったな、ということが見つかったら、少しだけ慌てないことを心掛けてみるのも良いかもしれません。

平安貴族ほどスローな生き方はできなくても、自分が落ち着きを持つことで、あなたが発する感情のエネルギーは、ずっと穏やかになるからです。

 

肉体のある命の役目

私は見えない世界を実在として捉えている人間なので、魂の存在も信じています。

実は魂という視点にから考えると、生きている人間が幸せでいなければならない理由も、分かりやすく説明できるのですね。

というのも、霊的に荒ぶる土地というのは、そこに宿る神様やご先祖様の魂が落ち着かない場所のことをいいますよね。

そういう土地では命の生育が鈍くなりますので、当然ながら人間にも良いことはありません。イヤシロチの反対と考えればよいでしょう。

でも、少し考えてみますと、土地に住んでいる命とは、肉体のない神や霊や自然だけではありませんよね。

私たち生きている人間も土地に宿る魂なんです。違いは体があるかどうか、これだけなんです。

だから、土地の良し悪しの半分くらいは、その地域で暮らす生きた人間のパワーも影響するというのが、私の考えでございます。

逆に言えば、土地の状態が良くないなあと感じても、生きている人間が明るい心を持つことで、半分くらいはどうにかなるのかもしれません。

 

あなたが幸せになるべき神様的な理由

このところ、日本は経済面などで大変な局面が続いてきました。

1億人の感情が鬱屈しているとすれば、それだけでもお互いを息苦しい気持ちにするエネルギーを発散し合っていることも、十分あり得るでしょう。

新天皇の即位という新しい時代を象徴するニュースが、鬱屈していた皆の心を解放してくれてたとすれば、令和の日、私の感じた明るいエネルギーは、国民の希望の光であったのだろうと思います。

ひとりひとりが希望を持ち、幸せになることには、国の未来さえ変えるようなパワーがあるのかもしれません。

そう考えますと、私たちは全員が、少しでも幸せになるべくして生まれ来たといえるのではないでしょうか。

自分が幸せになることで、隣の人はもちろん、花や木や鳥、神や祖霊さえもが穏やかになり、命が栄えるのかもしれない。

そんな意識を持ってみると、幸せになろう!という人間側の意気込みも、また違ってくるかもしれませんね。

 

以上、土地のエネルギーという視点から、人間が幸せになったほうが良い理由をお話致しました。

本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!

コメントを残す