日本の食卓に宿る神様・仏様

皆さま、こんばんは。

今日は日本人と神仏の関係の深さを、日常の話題からお話ししたく存じます。

それは、日本の食文化と仏教、神道の関係です。

私自身は大した趣味もないのですが、料理することが苦にならない性格なので、それなりに自炊は続けています。

このためレシピ本を何冊も持っており、その中で先日、料理家の土井善晴先生が面白いお話をされていたので、改めて日本の食事と神様について記事を書こうと思い立ちました。

日本の食卓を支えて来た、神道と仏教の深い関わりについて、お付き合いいただける皆さま、本日もよろしくお付き合いくださいませ。

▼目次

(初稿:2017年6月25日)


料理人の目線の先にあるもの

そもそもなぜ急に料理の先生の話を始めたかというと、プロの料理人さんの佇まいは一般人と違うな、と何度も感じたからでした。

みっちり鍛錬を積んできた剣豪のように無駄のない気配。

でも、目の光は不思議と優しい。

特に素材を活かしきることを大切にする、日本料理の板前さんには、表現しがたい清潔な雰囲気があるように思います。

どうしてかなと思ってお話を聞いていると、和食の職人さんというのは、食材を命として大切に扱っている方が多いんですね。

冒頭で述べました土井善晴先生も、食材に旬がある理由を、自然界で生き抜く命の働きから、よく説明しておられます。

食べることは生きること、というのが先生の座右の銘のようです。

その価値観にも、食べるものと食べられるものの関係が、反映されているように感じました。

料理を熱心にすることは、食材に注意を向けるきっかけになり得ます。

食材の命を意識するようになれば、自然に命への敬意が身に着くのかもしれません。


日本の食卓に生きる仏教の訓え

お料理と食事の話を、神様・仏様の世界から覗いてみると、実は日々の食事が神聖な伝統に基づいていることに気が付きます。

例えばお坊さんの話では、食べ物を無駄にしてはいけない、とよく説かれますね。

なぜなら、あらゆる食べ物は、もともと生きていたからです。

仏教には不殺生の教えがございますので、食べ物を無駄にすることは、不必要に命を奪う行為と考えられたのでしょう。

なお、これとは逆に、チベット仏教にはお肉を食べる修行もあるそうです。

これは既に屠殺された命を、無駄に捨てないための修行だといいます。

勿体ないという理由だけでなく、お坊さんに食べられた動物は、仏の世界を実現しようとするお坊さんを助けた、と見なされるそうです。

人間に生まれなかった動物も、その糧として役にたてば、善行を積んだことになるそうですよ。

生きている命も、既に屠られた命も無駄にしてはいけない。

こういう考え方がありますから、仏教は食べ物をとても大切に考えますよね。


節制で豊かになった?日本食

そしてまた、食べ物に対する敬意が日本の食卓を豊かにした、とも私は考えています。

精進料理の湯葉などを見るといつも思うのですけれど、例えば西洋では、ミルクの膜を乾燥して再利用などしませんよね。

高野豆腐のように、凍って触感が変わった食材を捨てずに利用する知恵を絞ったのは、食材を無駄にしないぞ、という執念の為せるわざでしょう。

大豆から生まれたものだけでも、豆腐、味噌、醤油、おから、納豆、油揚げなど、よくここまで使い切るなと感心するものがあります。

食べ物は、命。

だから絶対に捨てない。

そんな日本食の精神は、不殺生という仏教の訓えから始まっているのかもしれませんね。


日本の食卓と仏教

一方で忘れてはならないのが、仏教を通じて日本に伝わった大陸の食文化の存在です。

例えばインゲン豆は、黄檗宗の開祖となった隠元和尚が、日本に渡ってきた時に持ち込んだ豆。

インゲン豆の名称も、隠元和尚の名前をとって付けられました。

隠元和尚の開いた京都の萬福寺には、今でも普茶料理と呼ばれる中華風の精進料理が伝わっており、予約をすれば誰でもいただくことができます。

日本茶の別名もある緑茶にしても、もとは薬のような存在として、仏教の僧侶たちに伝わっていたものが、民間に広まって日常の飲み物となったのです。

胡麻=護摩の文字でも分かるように、胡麻そのものや、胡麻油なども仏教に関連して輸入されたという話もあり、仏教を受け入れたことで大陸の珍しいものが日本に多く入ってきたことが分かりますね。

食材にかぎらず、日本国内で霊場と呼ばれた歴史のある地域にうかがいますと、修験者やお坊さんが考案した料理やお菓子が、地域の名物になっていることも珍しくありません。

先日お邪魔した出羽三山では、行者ニンニクなどが修験者ゆかりの名産品として、お土産物になっていました。

僧侶・修験者など信仰の世界に生きる人々は、民間人にはない知識を持っていますから、学者や医者も兼ねていた時代があったのですね。

昔は漢方のように地元民の健康を支えたものが、そのまま食文化に影響を与えていると分かると、旅先の味めぐりも楽しさを増すのではないでしょうか。


日本の食卓と神様

なお、私の興味を引いた土井善晴先生のお話というのは、日本の神社と水に関する考察でした。

土井先生によれば、日本人は神社をつくることで、水源を保護して来たのだそうです。

確かに、龍神様や弁財天を祀る神社仏閣をはじめ、湧き水、または温泉のでる地域がご神域に指定されていることは多くありますね。

神道の立場から日本食卓を眺めると、まずはお米。

日本神話によれば、お米は神様から人間へのプレゼントとされています。

しかも、稲穂は天照大神から統治者と認められた印でもあるというのです。

だから、日本では天皇まで自分の田んぼを持っていて、自ら稲を育てていますよね。

更には米作りに必要なものも、神聖な存在と見なされて行きます。

水はもちろん、お米をダメにするネズミなどを駆除する狐も、聖なる存在とされて来ました。

慶事にかかせないお酒・お餅も、お米から作られるものだから、よけいに有りがたい存在なのかもしれません。

こう考えると、日本の食文化の中心にあるのは、どれだけ時代が変わっても、相変わらず神様なのです。


お正月のプチ開運をおせち料理で

私たち一般人がかかわるうち、神道系の最大の行事といえば、お正月でしょう。

年末には大掃除をして穢れを祓い、年明けにはお餅やおせち料理をいただく。

最近は、節句の準備も簡素化されてきています。

お正月を迎えるにあたって、すべてを整えられないようでも、特にほしい運にちなんだお料理を選ぶというのも一興ではないでしょうか。

参考に、おせち料理の定番メニューと縁起を、簡単に紹介さしあげます。

<おせち料理の意味>

  • 黒豆:まめまめしく働けるように、との語呂による縁起担ぎの意味があります。
  • 数の子:名前のとおり、数多の子孫が残りますように。子孫繁栄の縁起担ぎ。
  • ごまめ:田作りとも呼びます。漢字では五万米と書き、五穀豊穣を祈る意味があります。
  • きんとん:金団と書くことも。クチナシで染めた黄金色は、金運・財運の象徴。
  • 伊達巻:卵は子宝の象徴なので、子孫繁栄の縁起物であると同時に、伊達な巻物という呼び名にあやかって、文化教養面での隆盛を祈願する意味。勤勉さの象徴とされることも。
  • 紅白かまぼこ:紅白の色彩は、いわずとしれた魔除けの色。かまぼこの半円形を初日の出に見立てて、めでたい品とする意味もあるそうです。
  • 昆布巻:よろこぶ、の語呂合わせ。昆布巻きのかたちにものし袋のような意味があるそうで、慶事をつなぎとめ、喜びで一年を締めくくれるように、との祈りが込められています。
  • くわい:物事の目が出ますように、という祈願の意味のほか、たくさんの子芋がつくことにあやかり子孫繁栄を祈る意味があるといいます。
  • 百合根:漢方薬にも用いられる食材ですね。鱗片(球根状のかたまり)が豊かに実ることから、こちらも子孫繁栄の象徴。
  • お多福豆:おたふくに豆の形が似ていることから、縁起物となったそう。福の多い一年を過ごせるように、という験担ぎ。
  • 叩きごぼう:大地に深く根を張る野菜は、家運興隆の縁起物とされます。長寿を祈る意味も。
  • 紅白なます:かまぼこと同様、紅白は厄除けの色。なますの大根も、地に根を張る野菜なので、家運興隆の祈願。
  • 海老:腰が曲がっている姿を、長命の象徴ととらえた縁起物です。腰が曲がるまで長生きできるように、という祈りが込められているといいます。
  • 鯛:「めでたい」の語呂合わせや慶事にふさわしい赤い色から、縁起物とされます。
  • 鰤(ぶり):鰤は成長するたびに呼び名の変わる、出世魚。意味はもちろん、出世祈願。
  • 煮しめ:煮しめには、色々な種類の野菜を和え合わせて使います。このため、円満の象徴。
  • 蓮根:仏教で蓮が神聖視される影響から、その根である蓮根も縁起物に。穴が開いているので、先が見通せるようになる、という意味があるそうですよ。
  • 里いも:子芋が豊富なことから、こちらも子孫繁栄の祈願の意味があります。
  • 八頭:かしらなので、人の上に立つ人間になれるように、という出世祈願になります。

<お雑煮>

お節料理と並ぶお正月の特別なものといえば、お雑煮がありますね。

地方によって色々な調理法に分かれますが、共通点は主役がお餅であることでしょう。

お餅の原材料となるお米は、神様から人間へ下賜された特別な品物として、日本では尊ばれて来た歴史があります。

お米から作られるお餅は、特に丸いものを魂に見立てて、神様からいただく新年の生命力の象徴と見なしたともいいます。

新年に神様からいただいた命を取り込む儀式が、お雑煮という伝統の起源なのかもしれませんね。

なお、あれこれと準備するよりも、シンプルに済ませたいという方は、基本の3つの品物だけ用意しても良いとされているそうです。

関東と関西で取り合わせが異なるのですが、以下のものを用意すれば基本を揃えたお節料理となるそうですよ。

  • 関東の三つ肴:黒豆、数の子、ごまめ
  • 関西の三つ肴:黒豆、数の子、叩きごぼう

日々の幸せは食卓から始まる?

食卓と神仏の深い関係を考えますと、料理人の方というのは毎日、命をうやまうことが職業につながっていると言えるのかもしれません。

うらやましいと思います。

かくいう私も、なぜ料理だけは毎日続けられるかというと、キッチンに立っているとなんだかほっとするから。

どんなに忙しくても、カツオ節でだしをとっている間に、自分の中の秩序が戻ってくるんですね。

忙しくても、病気でも、お金が無くても、とにかく人間は食べなければ生きていけない存在です。

焦っても仕方ないなら、とりあえず台所に立ってみると、煮える鍋の中身を見つめているうちに微かなと瞑想が始まる気がしています。

頭の中の渋滞を解消するための習慣が、私にとっては料理なのでしょう。

現実に立ち返りながらも、心と体を養い、更には神仏への感謝を表す儀式ともなり得るのが料理と食事だとしたら、日に3度もその機会があるのです。

家庭で用意するお料理では、プロほどのこだわりは持てませんけれども、なるべく充実した時間にできたならば、人生の幸せ度にも影響して来るのではないか、という気が致しますよ。

以上、日本の食卓にまつわる神仏のお話を申し上げました。

本日も最後までお付き合いいただいた皆さま、ありがとうございました!



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