京都で考える、空海・最澄が見た仏教

皆様、こんばんは。

最近は出雲の記事の更新が続いていましたが、すでに2回目の京都滞在を終えまして、昨夜、無事に東京に戻って来ることができました。

途中、持病のせいか体調不良の日もあったものの、励ましのお言葉もいただき無事に調査を終了することができた次第です。ありがとうございました。

今回の京都、別にお花見だけのために行ったわけではなく、他にも目的がありました。

ひとつは漫画を描いている友人が、見えないものを扱う作品を描きたいとのことで、京都ナビゲーター兼見えない世界の案内人として、取材に同行したこと。

もうひとつは、仏とは何か、という私の中にくすぶっていた疑念への挑戦。

つまりは密教寺院を訪問し、第三者の視点で密教僧が感得しようとしているものは何かを調べる、という目的がありました。

 

なぜ密教に興味を持ったかというと、実家が真言宗だからというのもありますが、それ以上に気になっていた「仏を祀る」ということの本質を知りたかったから。

(密教は、護摩焚きなどの行により、仏さまを祀る行法を重視しているので。)

仏様を感じるということ

前回、秋の京都に滞在した時のこと。

私の場合、神社の方が得意なこともあってか、寺院に置かれている仏像などを前にしたときに、神様との違いは何だろう、と疑問に思ったんですね。

私の感覚では、神様は土地に宿るもので、自然のエネルギーが形や意志のような能動性を持ったもののように感じています。

しかし、仏さまは別。

僧侶さんたちが手ずから彫った木像などに、御祈祷して魂を入れる、ということをしていますよね。

本当に何も分からなかったころ、それって念をいれるということなのか、と早合点していた時もありました。

水晶などの石は、ブレスレットや念、意識、気などと呼ばれるエネルギーを吸収してとどめる性質を利用して、お守りなどに利用されていますよね。

仏像を開眼するというのも、これの応用かと思っていました。

このような自分の解釈が間違っているとはっきり分かったのは、比叡山延暦寺と雨法院という2つのお寺をお参りした後のことでした。

比叡山は最澄の天台宗、雨法院は空海の真言宗なので、密教系の寺院といっても両者は異なる流れに属します。

ところが、この2つを訪れてみたところ、不思議と同じ気配の御堂があったんですよ。

どちらも茶吉尼天様を祀るお堂でした。

更には稲荷山、志明院のように空海が修行をしていたという土地に入ると、何か同じ気配が漂っていたことも、仏とは何かという疑問に答えるヒントをくれたように思います。

まったく違う人間が、異なる時代に祀ったとしても、同種の気配を持った見えない何かが宿るのだとしたら、それが仏なのではないか。

まだ直観的なレベルでの理解ではありますが、そう考えるようになりました。

表現を選ばずに例えるならば、柴犬という犬を何匹が見ると、ようやく柴犬の特徴が分かるようになりますよね。

A、B、Cと3匹の犬がいたとしても、耳が短く、凛々しい顔で・・・という共通項が見えてくることで、やっとすべてが同じ犬種だと判断できるようになる。

これと同じように、たくさんのお寺と仏さまをお参りすることで、私の中にデータベースができて来たのかもしれません。

 

空海・最澄の時代の密教


空海-KU-KAI-美しき王妃の謎 インターナショナル版(字幕版)

もし、仏を祀るということが、同じ性質の何かを呼び出しとどめるということなら、なんとなく仏像を開眼するという行為の意味も、理解できる気がしました。

それから、漠然とした予感ではありましたが、もし本来の密教の行法にこうした意味があるのなら、現代人の考える仏教とは違う仏教のあり方が、歴史の中には存在したのではないか、という考えが浮かびました。

空海や最澄の時代、彼らは自分たちが持ち帰った密教を、どのような目で見ていたのでしょうか。

神仏の功徳にすがって成仏する、魂を救済するということだけを期待して、彼らは仏教を学んでいたのでしょうか。

そうは見えない、というのが今の私の実感です。

凡人には平面図としてしか表せなかった曼荼羅を、木造を駆使して立体化して見せた高僧の頭の中には、私たちが知る由もない仏の世界があったのではないか。

全身全霊をかけてでも追及してみたくなるほどの仏とはいかなるものかを、観客席から映画評論でもするように、私なりに探索してみたいと感じさせられた、今回の京都めぐりでした。

本日は、散文のような記事になってしまいましたね。

最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。

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