八百万神さま全員集合!京都・吉田神社

本日もお越しくださった皆さま、ありがとうございます。

本日は、ちょっと特別な神社のお話をいたしますよ。

その場所とは、京都の吉田神社です。

 

▼目次

(初稿:2017年10月9日、最終更新:2019年3月21日)

 

京都・吉田神社とは?

京都の吉田神社は、銀閣寺~京都大学の付近、北白川エリアに鎮座する古社。

ここ一か所にお参りすれば、八百万の神様を全員お参りしたのと同じともいわれる神社で、創建は859年に遡ります。

吉田神社の起源は、藤原氏の氏神として、奈良の春日大社の神様を勧請したことに始まるといわれています。

藤原氏系の貴族が信仰を寄せたのみならず、平安京の鬼門を護る神様としても崇敬されたといいますよ。

このため境内には、藤原氏の氏神である奈良県の春日大社と同様、鹿のモチーフが配されていました。

また、吉田神社の創建以前から、何らかの神様が祀られていた可能性のある土地で、その頃はどこからともなく神楽の音色が聞こえる霊山と噂されていたそうです。

これは、この地域に神楽岡の地名が残っている由来でもあるとか。神楽岡社は今でも、吉田神社の参道脇に摂社末社として祀られています。

私が参拝した10月8日は、偶然、この神楽岡社と今宮社の御幸祭の最中で、御神輿などが見られました。

 

超名門・吉田神社の社家と卜部氏

八坂神社や伏見稲荷大社のように、有名な観光スポットよりも知名度は落ちますが、実は吉田神社は神社界の超名門。その名のとおり、吉田家という家系が代々の神職を務めておられえるそうです。

吉田家のご先祖様は、古くは朝廷に仕え、陰陽寮の占いを担当していた卜部氏(うらべうじ)といわれます。京都の社家の中でも、指折りの古い血筋であることは、間違いないでしょう。

余談ですが、平安京の誕生とともに創建されたという、西陣の平野神社の神主さんの家系も、同じく卜部から派生した家系といわれているそうですよ。

 

神祇に希望を与えた吉田神道とは

なぜこの神社のことをブログに取り上げたかというと、吉田神社で生まれた思想の流派が、現代の神道の世界に多大な影響を与えているからなんですね。

この思想は吉田神道、または唯一神道、卜部神道などと呼ばれます。吉田神道を提唱したのは、室町時代後期の吉田家の神官だった吉田兼倶(よしだかねとも)でした。

吉田神道とは、ごく簡単にいえば、一番偉いのは神様である!とする思想。当時、大流行していた仏教に一矢報いる気持ちだったのかもしれません。

平安時代以降、日本の宗教界では仏教が大成功し、神社と関係者の社会的な立場は弱くなる一方で、ついには仏教側から本地垂迹説などが生まれ、日本の神様も仏様が変身した姿だ、とまで言われるようになっていました。

吉田神道ではこれに異を唱えて、この世界を生み出した根本は神様にある、仏様もの存在も根底には神様があるなど、いわば神様第一主義を取ったんですね。

吉田神道の思想は、神道の関係者に希望を感じさせるものだったのでしょう。業界内で支持を得て、吉田神社も明治時代まで神道界で絶大な権力を持つにいたりました。

天皇陛下を第一にした明治政府の政策と、神様を第一とした吉田神道の思想は相性が良かったことも、追い風となったのかもしれませんね。

 

吉田神社の斎場所・大元宮

吉田神社で有名なのは、斎場所・大元宮と呼ばれているお社ですね。

このお社は、虚無大元尊神(そらなきおおもとみことかみ)という、非常に珍しい神様が祀られています。虚無大元尊神は、森羅万象の起源、宇宙の根元をなす神であるといわれます。

天照大神をはじめ八百万の神も、森羅万象のはたらきで生まれたのだから、大元宮は日本のあらゆる神様を祀っているのと同じである。つまり、ここに参拝するだけで、日本中のすべての神様のご加護がいただける、ともいわれるそうですよ。

大元宮の起源は、吉田神社の宮司様の家系が、お家で祀っていた祭壇といわれています。それを境内地にお遷しして、社殿をつくったのが、大元宮の起源となったそうです。

大元宮は、その形状も非常に珍しく、八角形の本殿、その背後には後ろ房と呼ばれる六角形の建物が隣接するという様式。重要文化財に指定されています。

 

吉田神社は節分祭の発祥の地?

 

吉田神社のお祭りのなかでも、有名なのは毎年2月2日から4日に行われる節分祭ですね。ご由緒書きによれば、日本における節分祭は、吉田神社の疫神祭が始まりだそう。

京都の節分祭でも、代表的な行事を見たい方に、是非お勧めしたいお祭りです。

 

吉田神社で探る節分の起源

なお、節分の正確な起源というのは、今でも明らかになっていないといいます。

一般的には中国に起源があるとされ、祓い清めの儀式だった追儺式が日本に伝わったものとの説が有名でしょうか。豆まきの使用する豆の生命力で、鬼を追い払うといわれています。

あるいは陰陽五行説をベースとする説も。こちらでは、豆(=金気の象徴)を炒る・撒く行為にとって、金気をやっつける儀式なのだともいわれます。

春は五行の木気にあたるため、金剋木の理によって、金気があると順調に春がやって来ないと、昔の人は考えたのですね。

金気にあてはまる豆を痛めつけ、更に投げ捨てれば、金気を弱らせ追い出せると思ったのでしょう。

節分の悪役といえば鬼ですが、丑寅の方位(北東)を鬼門と呼ぶように、丑月(旧歴12月)から寅月(旧正月)へ暦がうつる時期、不安定になる気を指して鬼といったともいわれます。

実際に、吉田神社の位置は、昔の平安京から見ると鬼門の方位にあたるのも、興味深い事実ですね。節分の目的が鬼を撃退することなら、吉田神社が節分の発祥の地とされるのも納得です。

 

※節分と陰陽五行説について、詳しく知りたい方はコチラの書籍に説明がございますよ。

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吉田神社アクセス情報

百万遍バス停が最寄り。そこから更に10分程度歩きます。

あるいは錦林車庫バス停から、先に真如堂を拝観してから、吉田山ハイキングコースを辿る方法もあります。

道に迷いにくいのは、百万遍側からのアクセスではないかと思います。

 

周辺の観光情報

吉田神社から近いのは、知恩院、京都大学、真如堂など。

吉田神社の境内から吉田山へのハイキングコースをのぼると、大元宮、竹中稲荷神社を通過した山の反対に、真如堂の門が出て来ます。

真如堂側の麓には、吉田荘という宿泊所併設のオシャレなカフェがありました。美術的な内装と落ち着いた雰囲気の中で、コーヒーやお汁粉をいただけます。

 

吉田神社のちょっとスピリチュアルな話

この大元宮という場所は本殿から少し離れていて、神様のタイプも違うように感じられました。

私の印象では、伊勢の内宮にどこか似ている感じがしましたが、これは吉田神社の社家が現代の神道にも影響を与えているからなのかもしれません。

伊勢外宮の社家と吉田家は争った時期もあるとうくらいなので、なぜ近しい空気があったのか、初めて訪れたときは謎だったのですけれど、これが近代の国家神道の香りなのかな、と今は思っています。

現代の神道は、明治頃に大規模な改革がありましたね。改革にともない、神道事務局という新しい組織が作られたときも、吉田社家の方が重要なポストに就いたといいます。

新政府は、伊勢神宮の整備も積極的に行ったとの話もありますし、吉田神道の思想は見えないところに引き継がれているのかもしれません。

一方、土地のエネルギーそのものは、伊勢と吉田神社では全く似ておりませんので、あくまでも祭祀など人間の整えたシステムに似たところがあるのだと思われますよ。

 

吉田神社と土地の不思議

吉田神社に参拝してみて分かったのは、聖地になる土地にも色々なタイプがあるのだな、ということ。

私の印象では、吉田山の周辺地域というのは、宗教的なものと相性の良い場所ではないかと感じました。

聖地と呼ばれる場所には、自然のエネルギーが豊富な場所、天につながりやすい場所などもありますが、吉田神社に関していえば、ハッキリしていたのは、規律正しさ

これは宗教を組織として運営するために、必要な要素ですよね。男性的な雰囲気も強かったので、学徒・精進・研鑽などの、きっちりしたキーワードが似合う神社だなあ、と感じました。

吉田神社のある百万遍の辺りは、京都大学のキャンパスもありますが、教団も学校も、学びの場であることは共通です。これらが同じエリアにあるのは、もしかしたら偶然ではないのかもしれませんね。

なお、吉田神社のご本殿の性質は、千葉の香取神社に似ていなくもないのですが、これは藤原氏(中臣氏)つながりでしょうか。

 

以上、吉田神社の参拝日記でした。

本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!

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