かぐや姫は京都人?天橋立と元伊勢の謎

本日もお越しくださった皆様、ありがとうございます。

本日は伊勢の話から寄り道しまして、久しぶりに京都の話を申し上げたく存じます。当ブログに多くお越しいただいている京都好きの皆さまには、耳寄りな話かもしれません。

いつもながらスピリチュアルな要素も入りますが、よろしくお付き合いくださいませ。

▼目次

 

まねきねこ北近畿さまよりお借りしました。

(初稿:2019年7月17日)

 

外宮ともうひとつの元伊勢

伊勢神宮の始まりの頃の歴史を調べていた時のことです。外宮の起源をたどるうち、不意に京都丹後国の伝説に話がつながって行きました。

というのも、伊勢神宮の外宮は丹後国(今の京都府の北部、日本海側の地域)から招かれたとの伝承があるからです。

いわく、雄略天皇の枕元に天照大御神がたち、「自分ひとりではやすらかに食事ができないので、丹波国の比治の真名井から豊受大神を招いてほしい」とお告げをなされたとか。

これが、伊勢に外宮ができた起源ともいわれておりますね。

この時、豊受大神は御饌都神と呼ばれており、つまり神様にお食事をお世話する食べ物の神様であるといいます。天照大神が指定した丹波国の比治の真名井については、現在の京都の天橋立の辺りと見られています。

このような伝説から、今も天橋立に鎮座する元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)が、外宮の元伊勢といわれているのですね。

 

昔話の宝庫!丹後半島

天橋立を始め丹後半島には、実に多くの昔話が残っています。浦島太郎、天の羽衣伝説の発祥の地とされるなど、実は京都市よりも古い歴史があると考えられているそうです。

これだけの伝説が残るのであれば、実際に常人に見えざる何かがあるのかもしれません。私自身、気になって元伊勢籠神社を参拝したことがあり、この時のことは過去記事でも紹介いたしましたね。

【参考】天橋立の過去記事

こちらで印象的だったことは、天空にゆれる天女の羽衣のような不思議なエネルギー。これは、自然界の特別な気なのでしょうか。

山から空へと立ち上るオーロラ色の霞が何とも魅力的な風景で、さすが天女の故郷という眺めでございました。

 

京都にも富士山があった?

今回、調べて分かった事実とは、この天橋立の元伊勢伝説に関するものです。

これまでの学問の世界の研究によれば、伊勢の外宮の神様が祀られていたのは、実は籠神社ではなく、同じく丹後に鎮座する比沼真名井神社(ひぬまないじんじゃ)であったと見られているとのこと。

ただし学者さんたちのお話しでは、今、比沼真名井神社と呼ばれている神社でもないといいます。

知名度では劣りますが、この2つの神社よりも北にある足占山という山の頂上近く、現在は藤神社とよばれる神社こそが、本来の元伊勢ではないかというのです。

今に伝わる比沼(ひぬ)の地名も、もとは比治(ひじ)であったといい、更に辿ると藤(ふじ)になるのだとか。

この事実を考えますと、その昔、足占山は「ふじのやま」と呼ばれていた時期があるのかもしれません。

かぐや姫の出身地を推理する

丹後半島に残る天女伝説、ふじのやまと呼ばれた足占山、天照大御神のお食事を助ける外宮の伝説。これらの伝わる丹後半島を眺めるとき、私が思い出すのは昔話の「かぐや姫」です。

浦島太郎、かぐや姫のように古い物語は、誰でも知っている割に、成立の起源はよく分かっていないものが多いのです。

しかし、私はかぐや姫の物語が何かの事実に沿って生まれたならば、その原点は丹後半島にあったのではないか、と思うようになりました。

ご存じのとおり、かぐや姫は最後、天の使いに連れられて月へと帰ってしまいます。丹後半島の天女伝説とつながるものがありますよね。

それから、かぐや姫のラストでは、帝が不老不死の仙薬を「ふじのやま」の頂上で燃やす場面が登場します。これなどは、天橋立の藤神社のことではないか、と私は感じます。

歴史上、日本の中心は関西にあった時期が長いのだから、現代人のいう富士山では距離的にも遠すぎるのではないでしょうか。

天橋立の空に漂う不思議エネルギーは、人間を養うものではなく、神仙の口にする霞であると思うのです。これが不老不死の仙薬の伝説と関係しているなら、大変面白いなと思います。

丹後半島に降り立ったという天女たち。その中に、かぐや姫のモデルがいるかもしれない、という創造は、歴史のロマンをかりたてますね。

 

日本の神様とゆかりの深い天橋立

ところで、民俗学者・柳田国男先生は、天橋立とは本来、現在の元伊勢籠神社の背後にある成相山のことを指したと仰います。

神話によれば、天橋立の地形はイザナキの登った天の梯子が、地上に倒れて生まれたといいますね。

しかし、民俗学的には天橋立とは現存する橋型の土地ではなく、もとは成相山を天橋立と呼んでいたのではないか、ということです。

その昔、成相山の頂上で神降ろしの儀式を行われていた時代に、成相山の頂上に柱を立て、それを倒す神事を行っていたというのですね。この柱が、天橋立神話の起源と考えられているそうです。

私が天橋立で見たオーロラのようなものが、天女伝説と関係あるとすれば、伊勢の外宮で天照大神のお世話をしている神様というのは、本来、天女であったのかもしれません。

 

奇妙につながる不老不死と天女伝説

伊勢の外宮の豊受大神とは、丹後半島から招かれた天女だったのではないか――。

というのは私の空想ですけれども、天女の子孫といわれるような家系から皇室の神事のお手伝い役が出された、なんてことは実際にあったのかもしれません。

豊受大神については、神様の食事=自然エネルギーを担う神様なのかもしれないと感じています。神様の常若、つまりは不老不死をもたらすのが豊受大神だったとすれば、天女のイメージとも重なる部分があるからです。

なお、日本神話には豊受大神と同じ神様といわれている、大宜都比売神(オオゲツヒメ)という方も登場します。

日本書紀では、大宜都比売神を月読命が斬り捨てたとき、その遺骸から五穀が生まれたとされていますね(古事記では、素戔嗚に斬り捨てられたことになっています)。

私は、豊受大神と大宜都比売神は別々の神様ではないかと思いますが、あるいは大宜都比売神の伝説も、天女の物語だったのかもしれないと今は妄想しています。

 

月の神話はどこへ行った

豊受大神が神様の食べ物をつかさどり、大宜都比売神は人間界の食べ物をつかさどるとすれば、やはりお2人は役割の違う神様である気が致します。

豊受大神のトヨウケは等由気とも書くそうで、伊勢神宮の御殿の名称であるユキ・スキのユキにつながるお名前ですから、神様専属のお食事係なのでしょう。

大宜都比売神については、食べ物といっても米、あわなどを生んだのであれば、地上の食べ物の神様ということになりますが、私としてはオオゲツヒメの名前に、月と似た音が入っている点が気になります。

月と農耕の関係は昔から指摘されていますが、大宜都比売神を斬り捨てたという月読命も、また月の神様です。古事記では素戔嗚が働いたという狼藉を、なぜ日本書紀では月読命の行いとしたのか。

月読命は三貴子と呼ばれ、天照大神や素戔嗚命とならぶ重要な神様とされているにも関わらず、古事記でも日本書紀でも、この他にはほとんど登場する場面がありません。

もしかすると初めからエピソードが無かったのではなくて、今の世には伝わらなかっただけ、というのはうがった物の見方でしょうか。

神話では語られない月の神様、月読命。その数少ない逸話に登場する、大宜都比売神。そして、月から舞い降りた天女とされる、かぐや姫。

丹後半島には、歴史から消え去った物語の片鱗が残っているのかもしれない。外宮の起源を辿る旅は、私にそんな幻想を見せたのでありました。

以上、丹後半島と天女伝説について、思うところを綴らせていただきました。

ずいぶん一生懸命と書きましたが、史実ではなくトンデモの類と思って読んでくださいね。(ただし、学者さんのお話しのところは、文献を参照したので大丈夫と思われます。)

 

丹後の伝説を知りたい!という方へ

最後に、いつも通り参考書籍の紹介をさせていただきます。

まずは、丹後半島の古い伝説「浦島太郎」の歴史を読み解く一冊を。古事記などの日本神話にも、浦島伝説の面影が見えることが分かります。

 

こちらは京都市内のみならず、丹波、丹後の伝説も登場。秦氏、カモ族、安倍晴明など人気のテーマまで幅広く網羅した歴史エッセイ。気軽に読めます。

 

今回、私が参考にしたのは、ひょうご研究室紀要 第3号『播磨国風土記』と古代史研究という書籍でした。残念ながらインターネット上で販売されているのを見かけません。このため、同じ先生の執筆された類書を紹介いたします。

播磨とよばれていた地域には、播磨国風土記という地域独自の歴史書があるそうです。これを読むと、平安京より昔の京都や兵庫の古いルーツが見えてくるかもしれませんね。

 

現地散策の注意

ご自分で現地に行ってみたい方は、京都市内からですと距離があるのでご注意。1日に数本、JR特急列車が出ていますが、本数が少なく座席予約が必要だったと記憶しています。交通の便を考えると、宿泊も必要かもしれません。

天橋立や隣接する城崎は温泉の名所でもありますから、値段やプランなど選択肢がたくさんあり、事前に良く検討して満足のいくスケジュールを練るのがお勧めですよ。

【参考】日本旅行さま 新幹線と宿泊の割引セットプラン(1名さま~予約可)

それでは、本日も最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました!

1件のコメント

  1. いつも拝見しています。「カゴメ唄」の鶴(伊勢神宮内宮・外宮ライン)と亀(出雲大社から真東のライン)の交点が、正に後ろの正面で籠神社あたり。今は消されたあのマーク含めて不思議な所ですね。またいろいろとお聞かせください。

    MDF
    1. ありがとうございます。聖地は神々しいばかりでない魅力がありますね。いずれ、話題の伊雑宮なども取り上げたいと思っております。また遊びにおいでくださいませ。

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